大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成4年(オ)1503号 判決

上告人

右代表者法務大臣

前田勲男

上告人

阪神高速道路公団

右代表者理事長

大堀太千男

右両名指定代理人

増井和男

外一一名

上告人国指定代理人

秦康夫

外一八名

上告人阪神高速道路公団訴訟代理人弁護士

原井龍一郎

吉村修

占部彰宏

田中宏

小原正敏

同代理人

岸田孝治

被上告人

濱村和子

外一一三名

右一一四名訴訟代理人弁護士

小牧英夫

高橋敬

佐伯雄三

田中秀雄

深草徹

筧宗憲

松山秀樹

足立昌昭

伊東香保

上原邦彦

浦井勲

大搗幸男

小貫精一郎

垣添誠雄

河瀬長一

川西譲

堅正憲一郎

木下元二

木村祐司郎

木村治子

小谷正道

田中治

田中唯文

土井憲三

中川内良吉

永田力三

西村忠行

野澤涓

野田底吾

羽柴修

古本英二

福井茂夫

藤本哲也

藤原精吾

本田卓禾

前田修

前田貢

山崎満幾美

山内康雄

渡辺勝之

渡辺守

渡部吉泰

増田正幸

石橋一晃

井上善雄

大音師建三

金子武嗣

木村保男

須田政勝

原田豊

真鍋正一

山崎昌穂

峯田勝次

樋渡俊一

亡村上美信訴訟承継人

被上告人

村上英司

外一六名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

一  上告人らの代理人加藤和夫、同中野哲弘、同鈴木健太、同佐村浩之、同萩原秀紀、同原田勝治、同中村誠、同田中清、同赤西芳文、同山本恵三、同鈴井洋、同原後二郎、上告人国の代理人伊藤勝則、同増田憲樹、同米原睦裕、同大森雅夫、同吉崎収、同酒井利夫、同横田耕治、同油谷充寿、同足立徹、同大西宣二、同玉置稔、同松本瞭、同平野裕、同石原佶、同下孝二、同斉木真佐夫、同松寺克哲、同佐野正道、上告人阪神高速道路公団の代理人原井龍一郎、同吉村修、同占部彰宏、同田中宏、同小原正敏、同志野幸功の上告理由第一点について

1  上告理由第一点の一の1について

所論は、要するに、上告人らの設置又は管理に係る一般国道四三号、兵庫県道高速神戸西宮線及び同大阪西宮線(以下、これらを「本件道路」という。)の供用に伴い自動車から発せられる騒音、排気ガス等がその周辺住民に生活妨害等の被害をもたらす危険性を生じさせる騒音レベル、排気ガス濃度等の最低基準を確定しないで、本件道路の設置又は管理に瑕疵があるとした原判決には、理由不備の違法があるというものである。

国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いている状態、すなわち他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいうのであるが、これには営造物が供用目的に沿って利用されることとの関連においてその利用者以外の第三者に対して危害を生ぜしめる危険性がある場合をも含むものであり、営造物の設置・管理者において、このような危険性のある営造物を利用に供し、その結果周辺住民に社会生活上受忍すべき限度を超える被害が生じた場合には、原則として同項の規定に基づく責任を免れることができないものと解すべきである(最高裁昭和五一年(オ)第三九五号同五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁参照)。そして、道路の周辺住民から道路の設置・管理者に対して同項の規定に基づき損害賠償の請求がされた場合において、右道路からの騒音、排気ガス等が右住民に対して現実に社会生活上受忍すべき限度を超える被害をもたらしたことが認定判断されたときは、当然に右住民との関係において右道路が他人に危害を及ぼす危険性のある状態にあったことが認定判断されたことになるから、右危険性を生じさせる騒音レベル、排気ガス濃度等の最低基準を確定した上でなければ右道路の設置又は管理に瑕疵があったという結論に到達し得ないものではない。原判決は、本件道路からの騒音、排気ガス等がその近隣に居住する被上告人らに対して現実に社会生活上受忍すべき限度を超える被害をもたらしたことを認定判断した上で、本件道路の設置又は管理に瑕疵があったとの結論を導いたものであり、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

2  同第一点の一の3について

所論は、要するに、本件道路の近隣に居住する被上告人らが暴露された屋外騒音レベルの認定に理由不備、理由齟齬、経験則違反、採証法則違反の違法があるというものである。

営造物の供用に伴い発せられる騒音によって被害を受けたとして多数の周辺住民が損害の賠償を求める事件において、日常の各自の屋外騒音レベルを認定するに当たって、当該騒音の発生源の性質、音量、音の方向、発生源と居住地との位置関係等各住民が暴露された騒音レベルに影響を与える要因を勘案して、周辺住民を適切なグループに区分し、そのグループごとに右騒音レベルを推認することは、合理的な方法として許されるものと解すべきである。

本件における騒音の発生源は本件道路を走行する自動車であって、その騒音はほぼ一日中続くものであるところ、原判決は、本件道路の周辺地域を、交通量によって三地域に、道路構造によって四区画に分類した上、さらに本件道路端からの遠近や本件道路への見通しの程度に基づき、本件道路の近隣に居住する被上告人らを合計一九のグループに分け、原審における鑑定(被上告人らの約三分の一に当たる四七戸を対象とするもの)の結果を基本にして、右のグループごとに上限と下限の等価騒音レベル(Leq)による数値を抽出し、その幅のある数値をもって同一のグループに属する各住民が日常暴露された原則的な屋外騒音レベルと推認するという方法によったものであるが、この方法は、原審の適法に確定した事実関係に照らし、合理的なものとして是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

3  同第一点のその余の点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原判決を正解しないでこれを非難するものにすぎず、採用することができない。

二  同第二点について

所論は、要するに、本件道路の設置又は管理に瑕疵があったとするには、財政的、技術的及び社会的制約の下で上告人らに被害を回避する可能性があったことが必要であるのに、この点の判断をしないまま、右の瑕疵を認めた原判決には、判断遺脱の違法又は国家賠償法二条一項の解釈適用を誤った違法があるというものである。

国家賠償法二条一項は、危険責任の法理に基づき被害者の救済を図ることを目的として、国又は公共団体の責任発生の要件につき、公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときと規定しているところ、所論の回避可能性があったことが本件道路の設置又は管理に瑕疵を認めるための積極的要件になるものではないと解すべきである。

そして、原判決は、その理由の「第八 違法性(受忍限度)」と題する項目の二において、上告人らが実施した対策の内容とその実効性について詳細に検討した上、右項目の五において、上告人らが巨費を投じて種々の対策を実施したことは評価できるものの、十分に実効を収めているとまでは評価し難いとしているのであって、これらの判示を総合すると、原審は、国家賠償法二条一項の解釈について右と同旨の立場に立った上で、上告人らにおいて本件道路の供用に伴い被上告人らに被害が生じることを回避する可能性がなかったとはいえない旨判断しているものとみることができ、この認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

三  同第三点について

1  同第三点の一について

所論は、要するに、本件における侵害行為は本件道路の供用に伴い自動車から発せられる騒音、排気ガス等によるものであるが、自動車の走行それ自体は社会的に有用な行為であって、本件道路は高度の公共性を有しているところ、その侵害の程度は軽微であって、本件道路の近隣に居住する被上告人らの受けている被害は騒音等に対する不快感程度のものであるから、被上告人らの被害は社会生活上受忍すべき範囲内のものであるのに、受忍限度を超えるものとした原判決には、国家賠償法二条一項の解釈適用を誤った違法、理由不備、理由齟齬、経験則違反の違法があるというものである。

営造物の供用が第三者に対する関係において違法な権利侵害ないし法益侵害となり、営造物の設置・管理者において賠償義務を負うかどうかを判断するに当たっては、侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為の持つ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の事情をも考慮し、これらを総合的に考察してこれを決すべきものである(前記大法廷判決参照)。

これを本件についてみるのに、原審の適法に確定したところによれば、原審認定に係る騒音等がほぼ一日中沿道の生活空間に流入するという侵害行為により、そこに居住する被上告人らは、騒音により睡眠妨害、会話、電話による通話、家族の団らん、テレビ・ラジオの聴取等に対する妨害及びこれらの悪循環による精神的苦痛を受け、また、本件道路端から二〇メートル以内に居住する被上告人らは、排気ガス中の浮遊粒子状物質により洗濯物の汚れを始め有形無形の負荷を受けていたというのである。他方、本件道路が主として産業物資流通のための地域間交通に相当の寄与をしており、自動車保有台数の増加と貨物及び旅客輸送における自動車輸送の分担率の上昇に伴い、その寄与の程度が高くなるに至っているというのであるが、本件道路は、産業政策等の各種政策上の要請に基づき設置されたいわゆる幹線道路であって、地域住民の日常生活の維持存続に不可欠とまではいうことのできないものであり、被上告人らの一部を含む周辺住民が本件道路の存在によってある程度の利益を受けているとしても、その利益とこれによって被る前記の被害との間に、後者の増大に必然的に前者の増大が伴うというような彼此相補の関係はなく、さらに、本件道路の交通量等の推移はおおむね開設時の予測と一致するものであったから、上告人らにおいて騒音等が周辺住民に及ぼす影響を考慮して当初からこれについての対策を実施すべきであったのに、右対策が講じられないまま住民の生活領域を貫通する本件道路が開設され、その後に実施された環境対策は、巨費を投じたものであったが、なお十分な効果を上げているとまではいえないというのである。そうすると、本件道路の公共性ないし公益上の必要性ゆえに、被上告人らが受けた被害が社会生活上受忍すべき範囲内のものであるということはできず、本件道路の供用が違法な法益侵害に当たり、上告人らは被上告人らに対して損害賠償義務を負うべきであるとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

2  同第三点の二について

所論は、要するに、本件道路からの騒音、排気ガス等により受忍限度を超える被害を受けた者とそうでない者とを識別するためにした原判決の基準の設定に、理由不備、理由齟齬、経験則違反の違法、国家賠償法二条一項の解釈適用を誤った違法があるというものである。

身体的被害に至らない程度の生活妨害を被害の中心とし、多数の被害者が全員に共通する限度において各自の被害につき一律の額の慰謝料という形でその賠償を求める事案において、各自の被害が受忍限度を超えるかどうかを判断するに当たっては、侵害行為の態様及び被害の内容との関連性を考慮した共通の基準を設定して、これに基づき受忍限度を超える被害を受けた者とそうでない者とを識別することに合理性があるというべきである。原審の適法に確定した事実関係によれば、本件においては、共通の被害である生活妨害によって被る精神的苦痛の程度は侵害行為の中心である騒音の屋外騒音レベルに相応するものということができるところ、原審は、前記1の諸要素を考慮した上、公害対策基本法九条に基づく環境基準及び騒音規制法一七条一項にいう指定地域内における自動車騒音の限度の各値をも勘案して、(一) 居住地における屋外等価騒音レベルが六五以上の騒音に暴露された被上告人らは、本件道路端と居住地との距離の長短にかかわらず受忍限度を超える被害を受けた、(二) 本件道路端と居住地との距離が二〇メートル以内の被上告人らは、(1) その全員が排気ガス中の浮遊粒子状物質により受忍限度を超える被害を受けた、(2) 騒音及び排気ガスによる被害以外の心理的被害等を併せ考えると、屋外等価騒音レベルが六〇を超える騒音に暴露された者が受忍限度を超える被害を受けたと判断したものである。要するに、原判決は、受忍限度を超える被害を受けた者とそうでない者とを識別するため、居住地における屋外等価騒音レベルを主要な基準とし、本件道路端と居住地との距離を補助的な基準としたものであって、この基準の設定に不合理なところがあるということはできず、所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原判決を正解しないでこれを非難するところに帰し、採用することができない。

四  同第四点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができないではなく、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

なお、被上告人嶋昭代、同立花弘子、同畠山久次郎、同桒原敬三、同坂本照子は、当審において訴えの一部を取り下げたので、原判決主文において引用する損害賠償認容額一覧表(一)の原告番号71及び75、同表(二)の原告番号114、116及び152の各弁護士費用欄及び総額欄は、別表のとおり変更された。

五  よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官河合伸一 裁判官中島敏次郎 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治)

(別表)損害賠償容認額一覧表(一)

原告

番号

氏名

弁護士

費 用

総額

71

嶋昭代

0

1,875,200

75

立花弘子

0

1,136,400

損害賠償容認額一覧表(二)

原告

番号

氏 名

弁護士

費 用

総 額

114

畠山久次郎

0

1,183,800

116

桒原 敬三

0

796,800

152

坂本 照子

0

184,000

上告人らの代理人加藤和夫、同中野哲弘、同鈴木健太、同佐村浩之、同萩原秀紀、同原田勝治、同中村誠、同田中清、同赤西芳文、同山本恵三、同鈴井洋、同原後二郎、上告人国の代理人伊藤勝則、同増田憲樹、同米原睦裕、同大森雅夫、同吉崎収、同酒井利夫、同横田耕治、同油谷充寿、同足立徹、同大西宣二、同玉置稔、同松本瞭、同平野裕、同石原佶、同下孝二、同斉木真佐夫、同松寺克哲、同佐野正道、上告人阪神高速道路公団の代理人原井龍一郎、同吉村修、同占部彰宏、同田中宏、同小原正敏、同志野幸功の上告理由

《目次》第一点 侵害行為及び被害に関する認定判断の誤り

一 侵害行為に関する認定判断についての理由不備・理由齟齬、国賠法の解釈適用の誤り、経験則・採証法則違背

1 侵害行為性を有するに至る基準についての認定判断の欠如

2 屋外騒音レベルによる侵害行為性判断の不当性

3 屋外騒音レベルの認定方法の不当性

4 排ガスに侵害行為性を認めた認定判断の誤り

二 被害に関する評価及び認定方法についての理由不備・理由齟齬、国賠法の解釈適用の誤り、経験則・採証法則違背

1 被害の総体的評価の不当性

2 陳述書等による認定の経験則・採証法則違背等

三 被害に関する具体的認定判断についての理由不備・理由齟齬、国賠法の解釈適用の誤り、経験則・採証法則違背

1 睡眠妨害

2 頭痛、貧血、めまいなどの身体的被害

3 会話妨害

4 精神的被害

5 窓を閉ざしたままの生活を余儀なくされる被害

6 排ガスによる被害

7 振動による被害

8 生活妨害

9 まとめ

第二点 回避可能性についての判断遺脱

第三点 違法性(受忍限度)に関する認定判断の誤り

一 違法性(受忍限度)の判断要素の評価の誤り

1 侵害行為の態様と侵害の程度

2 被侵害利益の性質と内容

3 侵害行為の公共性

4 環境対策(被害防止措置)

5 行政指針としての環境基準

6 他の道路との比較、全国的な状況

7 まとめ

二 違法性(受忍限度)の基準設定の誤り

1 受忍限度判断基準の根拠の不明確性

2 環境基準値を受忍限度の判断基準に用いた誤り

3 屋外騒音レベルを受忍限度の判断基準とした誤り

4 まとめ

第四点 弁護士費用及びこれに対する遅延損害金に関する判断の誤り

上告理由

上告人らは、上告の理由を次のとおり明らかにする。

第一点 侵害行為及び被害に関する認定判断の誤り

原判決は、国道四三号(以下「本件国道」という。)並びに兵庫県道高速大阪西宮線及び同神戸西宮線(以下両県道を併せて「本件県道」といい、本件国道と本件県道のすべてを併せて「本件道路」という。)を走行する自動車からの騒音、振動、排ガス(以下、右騒音を「本件道路交通騒音」といい、それと右振動、排ガスを併せて、「本件道路交通騒音等」ということがある。)を被上告人らに対する侵害行為とし、これにより被上告人らに被害が生じているとしたが、その判断過程には理由不備又は理由齟齬があるほか、その認定判断には国家賠償法(以下「国賠法」という。)二条一項の解釈適用の誤り及び経験則・採証法則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 侵害行為に関する認定判断についての理由不備・理由齟齬、国賠法の解釈適用の誤り、経験則・採証法則違背

原判決には、以下のとおり、本件道路交通騒音及び排ガスについて被上告人らに被害をもたらす基準を明らかにしないままこれらの侵害行為性を認めたこと、室内における騒音による生活妨害を認めるについて屋外の騒音レベルを侵害行為性の基準としたこと及び浮遊粒子状物質等の被上告人らへの健康影響を否定しながらその侵害行為性を認めたことについて、理由不備又は理由齟齬があるほか、室内の騒音レベルを考慮せずに屋外騒音レベルのみをもって他人に危害を加える危険性の有無を判断したこと及び浮遊粒子状物質等に侵害行為性を認めたことに、国賠法二条一項に係る瑕疵及び因果関係の解釈適用の誤り又は経験則・採証法則違背が、また、屋外騒音レベルの認定手法自体にも経験則・採証法則違背がそれぞれあり、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

1 侵害行為性を有するに至る基準についての認定判断の欠如

国賠法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、「営造物が通常有すべき安全性を欠いていること」をいうとするのが最高裁判所の判例(最高裁昭和四五年八月二〇日第一小法廷判決・民集二四巻九号一二六八ページ、最高裁昭和五三年七月四日第三小法廷判決・民集三二巻五号八〇九ページ)であり、換言すれば、これを「営造物が他人に危害を及ぼす危険性のある状態」ということができる。すなわち、営造物の設置又は管理に瑕疵があるというためには、営造物に、他人に損害を及ぼすような危険性があることを要するのである(本上告理由書においては、このような営造物に他人に危害を及ぼす危険性のある状態を、国賠法一条一項の場合に準じ、「侵害行為」と呼ぶこととする。)。

ところで、原判決は、結論として本件道路を走行する自動車から発生する騒音、振動及び排ガスが沿道住民の生活妨害等をもたらす危険性があるとし、ひいては、本件道路の設置又は管理に瑕疵があるとしたのであるが、右の認定判断の過程において、本件道路交通騒音等が、いかなるレベルで沿道住民の生活妨害等をもたらす危険性を生じさせるのかについては、何ら認定判断をしていない。さらに、原判決は、被上告人らの個々の被害の有無の判断においても、後に述べるとおり、会話等の妨害について一応の基準を示した(しかし、右基準が被上告人らの会話等の妨害の発生に結びつかず、この点について理由不備又は理由齟齬があることは、後に指摘するとおりである。)のみで、その余の被害については、それらが生じる騒音レベル、大気汚染物質の濃度等の基準を全く示していないのである。

他方、原判決は、違法性の判断において初めて、騒音(騒音と総体評価されるとする振動、排ガスを含む。)については、「敷地におけるLeqが六五(デシベル(A)・引用者注)以上の原告らについては距離の遠近にかかわらず、またLeq六〇(デシベル(A)・引用者注)を超える原告らについては距離が二〇m以内」(原判決四〇六ページ六、七行目)、排ガスのうち浮遊粒子状物質については、道路からの距離が二〇メートル以内(原判決四〇七ページ四行目から六行目まで)という各受忍限度の判断基準を示している。

原判決の示した右受忍限度の判断基準は、もとより被害発生の有無あるいは瑕疵判断の前提となるべき被害発生の危険性のある状態の有無の判断基準ではない。しかし、本来、受忍限度の判断は、営造物が他人に危害を及ぼす危険性がある状態にあり(侵害行為性を有すること)、かつ、何らかの被害が発生していることを前提とした上で、それが社会生活上受忍すべき限度を超えているか否かを判断するものであるから、これを肯定し、損害賠償請求を認容するためには、まず、侵害行為性を有するに至る最低基準について認定判断しなければならないはずのものである。しかるに、原判決は、右最低基準について認定判断を全くしていないのである。

原判決には、既にこの点において理由不備があることは明らかである。

2 屋外騒音レベルによる侵害行為性判断の不当性

右に述べたように、原判決は、本件道路交通騒音等が侵害行為性を有するに至る最低基準について認定判断していないのであるが、右騒音等によって受忍限度を超える被害が生じているとする原判決の判断は、右騒音等に侵害行為性が肯認されることを当然の前提とするものと解される。そこで、原判決が受忍限度の判断について示した基準をみると、前述のLeq六〇デシベル(A)や六五デシベル(A)という騒音の基準は、原判決が「原告ら居住地における騒音の実情」(原判決二一〇ページ五行目)との項を設け、原審で実施した鑑定の結果に基づき、被上告人らの居宅の屋外での二四時間平均のLeq値をもって被上告人らの暴露されている騒音レベルとしていること(原判決二三〇ページ二行目、別紙C参照)、騒音について「基本的には屋外値を中心に据えて総合的に影響性を評価するのが、真相に合致する」(原判決二六二ページ六、七行目)と判示していることなどからすると、被上告人らの居宅の屋外騒音レベルであることは明らかである。したがって、原判決は、本件道路交通騒音の侵害行為性の有無も屋外の騒音レベルのみによって判断していると考えられる。

しかしながら、以下に述べるとおり、本件道路交通騒音の暴露状況を把握する基準として屋外騒音レベルのみを考慮することは、瑕疵の有無の判断、すなわち他人に危害を加える危険性の有無の判断としては正当なものとはいえず、屋外騒音レベルのみを基準としてこれを判断した原判決には、随所に理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る瑕疵及び因果関係の解釈適用の誤り並びに経験則・採証法則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

(一)(1) まず、原判決は、「日常生活において原告らに暴露される騒音レベルの把握に当たり、屋外における騒音の実情を捨象するのは相当ではない。なるほど被告らの指摘するとおり、日常生活の大部分が室内で営まれるケースでは、前叙のとおり道路騒音など、屋外騒音の曝露量はかなり少ないのであるが、それにしても、閉ざされた部屋に籠もったままの生活を想定するのは非現実的であり、当然のことながら毎日外出するとか、そうでなくても窓を開けた生活もあるのであるから、室内値のみを基準に騒音侵害を考えることが相当でないことは明らかである。それに騒音の侵入を軽減するため閉じ籠もった生活を余儀なくされることになれば、その面からの精神的苦痛が伴うことも無視できず、これが騒音による消極的侵害であることは、いうまでもない。」(原判決二一〇ページ六行目から二一一ページ五行目まで)と判示している。

(2) 確かに、侵害行為性の判断に当たって、室内騒音レベルを基準とすべきか、屋外騒音レベルを基準とすべきか、さらには、室内騒音レベルとしても、窓を開けた時か窓を閉めた時か、道路に面した部屋か奥の部屋か、夜間か昼間か、あるいは二四時間平均かについては、一義的に明確な解答があるわけではなく、これらの点は、一般論としては、本件道路交通騒音により発生すると主張されている被害の内容によって決まるというほかはないであろう。

例えば、本件道路交通騒音による聴覚障害が問題とされ、これが、ごくわずかな時間、本件道路端等で騒音にさらされたのみで生じ得ることが証明されれば、ここで基準とすべき騒音レベルは、道路端の最大騒音レベル(L1あるいはL10)であり、少なくとも屋外騒音レベルということになるであろう。また、屋外における会話その他の音声の聴取妨害を被害とするのであれば、当然のことながら屋外騒音レベルを基準としなければならないことはいうまでもない。

(3) しかし、原判決が被害として認定したものは、右のような被害ではない。

原判決が認定した騒音被害のうち、まず、会話等の妨害についてみると、原判決が室内と屋外におけるそれのいずれを問題としているのか、判文上は必ずしも明確ではないが、電話はもちろんのこと、テレビ、ラジオの聴取については、その性質上、室内における妨害が問題となるものであることは明らかであるし、一般の会話妨害についても、「これらの騒音によって家族の団らんが妨害され、あるいは友人、知人が訪問したり、宿泊するのを敬遠することが生ずることもありうると推認できる。」(原判決三三二ページ七行目から九行目まで)と判示していることからすれば、主として室内における妨害を想定していることは明らかである(なお、原判決が、会話等の妨害がLeq約六五デシベル(A)を超えると生じると認定しながら(原判決三三一ページ末行から三三二ページ一行目まで)、本件につき室内における会話等の妨害を認定したことが矛盾していることについては、後述するとおりである。)。

さらに、原判決が認めたその他の騒音被害についてみると、睡眠妨害については、その性質上、窓を閉めた時か窓を開けた時かは別として、室内騒音レベルのみが問題となることはいうまでもない。また、頭痛、貧血、めまい等の身体的被害については、生活全般からのストレスに起因するものであろうから、一応、屋外騒音レベルも室内騒音レベルも共に問題となり得ると考えられるが、基本的には、原判決も認定しているとおり、「生活の大部分を過ごす室内値」(原判決三二五ページ一行目)、「一般的に被曝露時間の長い屋内値」(原判決二六二ページ六行目)を重視すべきである。いらいらするとか、腹が立つとか、落ち着かない等の精神的被害についても、右身体的被害と同様であり、一般的に日常生活の大部分を過ごし、被曝露時間の長い室内値を重視して考えるべきである。

(4) このように、原判決が認めた騒音被害は、いずれもほとんど室内における生活への影響を問題とするものであり、したがって、原判決の論理を前提としても、室内騒音レベルをもって侵害行為性を判断すべきものとなるのが当然の帰結である。そして、屋外騒音レベルをこれに併せて考慮するとしても、決定的に重要であるのは室内騒音レベルであるから、原判決のようにこれを捨象してしまうのは極めて不当である。

(二)(1) ところで、原判決は、屋外騒音レベルを採用した理由として、前記のとおり「日常生活の大部分が室内で営まれるケースでは、前叙のとおり道路騒音など、屋外騒音の曝露量はかなり少ないのであるが、それにしても、閉ざされた部屋に籠もったままの生活を想定するのは非現実的であり、当然のことながら毎日外出するとか、そうでなくても窓を開けた生活もあるのであるから、室内値のみを基準に騒音侵害を考えることが相当でない」(原判決二一〇ページ八行目から二一一ページ二行目まで)と判示している。

また、原判決の右判示からすれば、被上告人らが外出する際に長時間本件道路交通騒音にさらされることを前提としているかのようである。

(2) しかし、被上告人らは、日常生活において外出するに際し、当然のことながら本件道路端に立ちつくしているはずはなく、主として通勤、通学、又は買い物などに行く途中のわずかな時間、本件道路端を通り過ぎるというのが一般人の行動様式に照らして推認されるところであり、この間に暴露される騒音量は、ごくわずかなものである。

一般人は、屋外生活の大部分を職場、学校、市場、レストラン、又は通勤、通学の電車の中等で過ごしているのであるが、「地下鉄や国電の車内が八〇ホン、騒々しい街角や同じく騒々しい事務所の内部及び電話のベルが、いずれも七〇ホン」(原判決二〇一ページ八行目から一〇行目まで)というのであるから、右に例示した騒音暴露の方が外出時における本件道路交通騒音の暴露よりも時間的、量的に大きく、もし仮に被害があるとすれば、前者による被害の方が、はるかに深刻なものであるはずである。これらのことは、原判決二〇五ページにおいて引用する第一審判決二四六丁表(四九一ページ)五行目から末行までにおいて、「一般に純粋に物理的な騒音暴露量は、①通勤者など在宅時間の比較的短い者については、在宅時の騒音暴露量の占める割合は極めて低く、通勤時や勤務時間中の騒音暴露量の占める割合が高いこと、②主婦など在宅時間の比較的長い者については、移動、買物、育児などにおける騒音暴露量の占める割合が高いこと、③道路騒音などの屋外騒音の侵入による在宅時の暴露量の占める割合は一般に小さく、各人の全暴露量のせいぜい十数パーセント以下であり、本件道路騒音についても同様であることが明らかである。」と判示されているところからも明らかである。

(3) さらに、原判決は、「窓を開けた生活もある」と判示しており、上告人らも、そのような日常生活のあることを否定するものではない。しかしながら、原判決のいう趣旨が、沿道住民の日常生活の大部分が窓を開けた生活であるというのであれば、これも誤りである。

まず、睡眠時についていうと、経験則上、窓を開けるとすれば、夏の期間のごく一部にすぎず、これをもって屋外の騒音レベルのみを侵害行為性の基準とする根拠とすることはできない。

また、原判決は、覚せい時において窓を開けた生活があるのであるから屋外騒音レベルを基準とすべきであるというのかもしれないが、前述のとおり、原判決が認定した被上告人らの被害は、室内における会話等の聴取妨害、睡眠妨害等であるから、通常の生活実態である室内の窓を閉めた状態における騒音レベルで判断すべきであり、例外的に窓を開けた状態で会話等をする生活もあるというのであれば、そのような状態における室内騒音レベルを参考にすれば足りるのであって(原判決二三四ページ六行目から九行目まで、別紙C参照)、原判決がいうように、屋外騒音レベルを基準に判断すべきであるとの理由は、どこにも見いだすことはできないのである。

(三)(1) 原判決は、更に前記判示部分に続けて、「しかも、本訴における原告らの被害なるものは、主として精神的側面という情緒的な被害であるだけに、室内窓閉め、窓開け、屋外という物理的な枠組みによって画然と区分し、他との関連を捨象してその区分した断片ごとのレベルで侵害の有無を評価することも相当でない。」(原判決二一一ページ六行目から九行目まで)と判示して、屋外騒音レベルによる侵害行為性の判断を正当化しようとしている。

原判決が認定した被上告人らの被害が、主として精神的側面という情緒的な被害であることは原判決判示のとおりであるが、そうであれば何故に情緒的な被害についても重要な意味を持つと考えられる「室内窓閉め、窓開け、屋外という物理的な枠組みによって画然と区分し」、「その区分した断片ごとのレベルで侵害の有無を評価すること」が相当ではないのか、右判示によっても全く明らかにされておらず、理由不備のそしりを免れないところであり、これをもって、屋外騒音レベルを基準にすることを正当化することはできないというべきである。

かえって、原判決のいう「主として精神的側面という情緒的な被害」であっても、睡眠妨害による被害をいうのであれば、それに影響を及ぼす騒音レベルは、睡眠時の騒音レベルと考えるのが当然の事理である。同様に、会話等の妨害による被害をいうのであれば、現実に会話等がされている状況(通常は室内の窓を閉めた状態)の騒音レベルが問題なのであり、それ以外の状況における騒音レベルは、原則として問題にはならないのである。また、騒音によるストレス、不快感等に起因する被害にしても、屋外の騒音レベルにより一時的に発生することまで否定するものではないが、そのことから直ちに頭痛等の身体的被害が発生するという証拠はなく、まして、これらのストレス、不快感等が騒音レベルの低い在宅時に残存ないし蓄積し続けるというわけでもないのであり、さらに、そもそも屋外の騒音を回避し得る生活空間として騒音の少ない室内が確保されているということ自体が、いわゆる情緒的な被害の発生を回避する上で大きな影響を及ぼすものと考えられるのである。

したがって、原判決の認定する右のような被害の性質、内容及び発生状況ないし態様に照らせば、むしろ、それぞれの被害に応じて「室内窓閉め、窓開け、屋外という物理的な枠組み」を適切に用いて、本件に即していえば、「室内窓閉め、窓開け」という「物理的な枠組み」を中心として「侵害の有無を評価すること」こそが、本件道路交通騒音の侵害行為性の判断において採られるべき正しい手法というべきであろう。

(2) 原判決は、右判示部分に続けて、「屋外殊に本件道路端で暴露された最大限の騒音レベルによる被害感が、精神的増幅を伴いながら、室内に持ち込まれ、その残影と室内で受ける騒音とが精神的に相乗的な悪影響を及ぼすことは、通常の事態と考えてよい。」(原判決二一一ページ九行目から二一二ページ一行目まで)と判示している。

原判決の右判示部分は、これを裏付ける証拠がないことからすると、このような経験則があることを前提としているかもしれないが、本件道路端で短時間その最大騒音レベルにさらされたとしても、騒音レベルの低い室内に入ればそれによる被害感は速やかに消失すると考えるのが自然である。ましてや、そのような被害感が睡眠時まで持ち越され、現実の睡眠に悪影響を及ぼすとか、室内における会話においても、そのような被害感の故に会話の聞き取りに支障を来すというようなことは、「通常の事態」とは全く考えられないのである。そうすると、原判決の右論理は、被上告人らが外出して、本件道路端に立ちつくし長時間本件道路交通騒音にさらされるという事態、あるいは、騒音に対する嫌悪・敵視が昂じて妄想にまで至ったような事態を想定しなければ、成り立たないものであり、これまた「通常の事態」とはいえないことは明らかである。

なお、仮に、原判決がいうように屋外で受けた騒音による被害感を室内に持ち込むようなことがあり得るとしても、前記2、(二)、(2)で述べたとおり、一般人は屋外生活の大部分の時間を職場等で過ごしているのであり、これらの場所で暴露される騒音量がその人の被暴露騒音量の大部分を占めるのであるから、本件道路交通騒音よりも、むしろ通勤時の電車内や職場等における騒音暴露を問題としなければならないこととなろう。

さらに、被上告人らの「室内で受ける騒音」について検討すると、被上告人ら居宅室内における騒音レベルは、原判決二一三ページ九行目から二一六ページ八行目まで及び二三四ページ六行目から九行目までにおいて認定されているとおりであり、要するに、「L50値で最高四三デシベル(A)、平均三五デシベル(A)」(原判決三一六ページ八、九行目)程度の騒音レベルである。右被上告人らの室内騒音レベルは、「静かな住宅地の昼間や図書館の内部(の)四〇ホン」(原判決二〇一ページ末行から二〇二ページ一行目まで)以下であり、最近の音量が低減化された電気製品で例えると、「クーラー吹出音(弱)(の)三五ないし四〇ホン、冷蔵庫(の)三五ホン」(原判決二〇二ページ二行目から六行目まで)程度の騒音レベルに該当するのである。

右程度の騒音レベルは、およそ騒音とは言い難いほどの静かな状態であり、右の程度の「室内で受ける騒音」が「精神的に相乗的な悪影響を及ぼす」とは到底考えられないのであって、右を「通常の事態」とする原判決の判断は、著しく経験則に違背するものというべきである。

(四) ところで、原判決は、前記判示部分(原判決二一一ページ六行目から二一二ページ一行目まで)のように考える根拠らしきものとして、「甲A第七五七号証によると、日中の騒音が夜の睡眠に影響を与えるとし、その理由として、日中の騒音が夜間の睡眠による補償(疲労回復)を要求する一方、交感神経系の興奮があり、そのアンバランスが不快感を強めるためとする趣旨の報告があることにも留意すべきであろう。」(原判決二一二ページ二行目から五行目まで)と判示しているが、右文末の表現からするとかかる報告の存在に注意を喚起しているにとどまり、右報告の内容を積極的に認定したものとは解し得ないから、むしろ単に甲A第七五七号証を参考として掲記したにすぎないと考えるのが自然であって、右判示部分は、法的には特に意味のない記述と解するほかはない。

しかし、念のため反論しておくと、原判決のいうところの甲A第七五七号証の実験は、同書証二七ページの右一八行目以下に記載されているが、そこで暴露した日中の騒音というのは、八〇デシベル(A)のピンクノイズを八時間にわたって暴露したというものであり、相当高レベルの騒音を長時間暴露するという極めて苛酷で異常なものである。これまで述べたとおり、沿道住民であっても、道路端で道路交通騒音にさらされるのは外出時の極めて短い時間であるのが通常であり、右のような実験結果を、被上告人らに当てはめることは到底できないのである。仮に、日中の騒音を問題とするのであれば、むしろ、職場等の騒音や通勤時間等の騒音による影響を考えるべきことは、これまで述べたとおりである。

さらに、右実験結果を子細に検討すると、睡眠指標の変化は、睡眠深度二の減少、徐波睡眠(睡眠深度三及び四の睡眠という。睡眠深度二よりも深い睡眠である。)の増加、REM睡眠及び体動には変化なし、心拍数の増加、主観的睡眠感の悪化というものであって、徐波睡眠の増加を考えると、客観的な睡眠指標はむしろ良化傾向を示し、主観的睡眠感との跛行的な結果となっているのであって、これを睡眠妨害と評価することは、そもそも疑問である。また、最初にみられたこのような影響は、翌日の実験では減弱していたということからすると、慣れの存在をうかがわせるのであって、本実験結果をもって、被上告人らについて、日中の騒音が夜間の睡眠妨害をもたらしている根拠とすることは到底できないのである。

(五) 原判決は、結論的に、「騒音については、前叙のように屋内値、屋外値といった断片ごとのレベルで評価するのは相当でない。むしろ、情緒的な被害を想定する限り、一般的に被曝露時間の長い屋内値ではなく、基本的には屋外値を中心に据えて総合的に影響性を評価するのが、真相に合致すると解すべきである。」(原判決二六二ページ四行目から七行目まで)と判示している。

しかしながら、右判示部分は、全く意味不明であり、何故に「情緒的な被害を想定する限り」屋外値を中心に据えて影響性を評価するのかが明らかでなく、むしろ逆に、室内の被害を想定するのであれば、情緒的なものであれ、それ以外のものであれ、一般的に「被曝露時間の長い屋内値」を「中心に据えて総合的に影響性を評価するのが、真相に合致する」ものというべきである。

そして、侵害行為性を判断する上において、屋外の騒音レベルを基準とすることが本件において基本的に誤りであることは、繰り返し述べたとおりであり、右の判示に対しては、これまでに述べた批判がそのまま妥当するのである。

(六) 次に、原判決は、騒音に係る環境基準が屋外騒音レベルを基準としていることから、損害賠償請求においても屋外騒音レベルを考慮すべきであるとしたと思われなくもないので、念のため環境基準について付言しておく。

環境基準は、原判決も認めているように、騒音被害の発生する基準ではなく、行政上の政策目標である(原判決三九九ページ九行目から四〇〇ページ一行目まで)。しかも、騒音に係る環境基準は、「人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準」(公害対策基本法九条一項)、「騒音に係る環境上の条件について生活環境を保全し、人の健康の保護に資するうえで、維持されることの望ましい基準」(「騒音に係る環境基準について」昭和四六年五月二五日閣議決定の前文)であり、人の健康の保護のみならず、一般的な生活環境全般の保全が重要な目的となっているのである。かかる見地からすれば、騒音に係る環境基準について屋外値を基準とすることは合理的であり、意味のあることなのである。

しかし、行政上の政策目標を設定する場合とは異なり、現実に騒音により被害を受けたとしてその損害賠償を請求している本件のような訴訟においては、個別の原告につき、その被害が生じ得るような場所及び時間での具体的騒音レベルが問題とされなければならないのであり、このような観点からすれば、本件においては室内騒音レベルが重視されなければならないことは、これまで繰り返し述べてきたとおりである。

このように、騒音に係る環境基準は、その設定の目的が、本件のような損害賠償請求訴訟における被害発生の判断基準の場合とは異なるものであり、そこで屋外騒音レベルが用いられているからといって、直ちに本件訴訟において屋外騒音レベルを用いることが正当化されるものではないのである。

しかも、騒音に係る環境基準は、確かに屋外値を基準としているものの、その設定は、騒音による生理的、心理的影響、夜間における屋内の睡眠深度への影響等を考慮し、建物の遮音効果を一〇ホン程度と仮定して(甲A第二一八号証五二ページ表5参照。これによれば、少なくとも窓を開けた時で一〇ホン、一重窓を閉めた時で一五ホンの遮音効果があることを補正の基準として考慮している。)、これらの影響が生じる可能性のある騒音レベルに一〇ホンを加えた数値を環境基準とすべき屋外値としたのである(甲A第二一七号証)。ところで、建物の遮音効果は、その構造、材質によって大きく異なるものであるところ、本件における被上告人ら居宅の屋外騒音レベルと室内騒音レベルの差は、原判決の認定によっても、夜間窓を開けた時で一二ないし二三ホン、窓を閉めた時で二六ないし三三ホン、早朝窓を開けた時で一〇ないし二三ホン、窓を閉めた時で二四ないし三七ホンであり(原判決二一四ページ)、これによれば、右環境基準設定の際に想定された窓を開けた状態と窓を閉めた状態の数値よりもはるかに現実の遮音効果が高いことが認められるのである。このように、騒音に係る環境基準は、室内において騒音による影響が全く生じないと考えられるレベルにわずか一〇ホンを加えるという極めて厳しい手法に基づいて算出された数値をもって設定されたことが明らかである。

したがって、右のような騒音に係る環境基準の設定手法に照らしても、本件における被害認定の基準として屋外の測定値である環境基準を用いることは相当でないというべきである。

(七) さらに、睡眠妨害に関してではあるが、原判決自身、「夜間の室内で窓を閉めた場合の騒音値(L50値で最高四三デシベル(A)、平均三五デシベル(A))からすれば、本件道路騒音が原告らに深刻な睡眠妨害を及ぼしていると断ずることについては、疑問が残る。」(原判決三一六ページ八行目から一〇行目まで)、「なお、後記被告らの住宅防音工事によって、騒音の被害はある程度軽減されていることが認められるが、窓を開ける夏期などを考えると、防音工事によって睡眠妨害が解消したとまでは断じ難いものである。」(原判決三一七ページ一〇行目から三一八ページ一行目まで)とそれぞれ判示し、屋外騒音ではなく、睡眠時に実際に暴露されている騒音レベルが睡眠妨害の有無にかかわっていることを前提としているのである。このことは、屋外騒音レベルを基準とする原判決自体に、理由齟齬があることを端的に示すものであり、少なくとも睡眠妨害については、決定的に重要なのは室内騒音レベルであることを明らかにしているものというべきである。

(八) 以上のとおり、本件道路交通騒音の侵害行為性の判断に当たっては、原判決の言葉を借りれば、「生活の大部分を過ごし、被暴露時間の長い室内騒音レベル」(原判決三二五ページ一行目及び二六二ページ六行目参照)を重視すべきは当然であり、原判決のように屋外騒音レベルのみによってこれを判断することは到底許されないものというべきである。

原判決が、屋外騒音レベルによるべきであるとする根拠は、いずれも証拠に基づかないか、あるいは論理的に成り立ち得ない誤った経験則に基づくもので、そこには判決に影響を及ぼすことの明らかな経験則・採証法則違背があり、その判断過程には、理由不備又は理由齟齬があることは明らかである。また、原判決は、室内における生活妨害に係る被害の発生を問題にする前提として、本来そのような被害と直接結び付くことのない屋外騒音レベルをもって侵害行為性を肯定したのであるから、国賠法二条一項に係る瑕疵及び因果関係の解釈適用を誤ったものというべきであり、また、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

3 屋外騒音レベルの認定方法の不当性

次に、原判決が、被上告人らが暴露されているとした具体的な屋外騒音レベルについての認定にも、以下に述べるとおり、理由不備又は理由齟齬があるほか、経験則・採証法則違背があり、かつ、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

(一) 被上告人らの居宅の屋外騒音レベルについては、その全員について測定がされたわけではなく、一部の被上告人らについてのみ騒音鑑定がされたにすぎない。したがって、国賠法二条一項の瑕疵(特に、他人に危害をもたらす危険性)の立証責任が被上告人らにあることにかんがみると、実際に騒音レベルを測定していない被上告人らについては、控え目の原則にのっとって騒音レベルを認定しなければならないことはいうまでもないことである。原判決も、「控え目の原則に従って」認定するとし、右の一般論を承認している(原判決二二九ページ九行目から末行まで)。

(二)(1) そこで、原判決の採用した騒音値未測定の被上告人らの居宅の屋外騒音レベルの推認方法をみると、まず、「各戸の屋外Leqの平均値を前提とし、鑑定対象原告らを屋外騒音の近似する変化要因に基づいて類型化して、そのグループごとにある程度近似する屋外平均値から上限と下限の数値を抽出し、その巾のある数値をもって、グループ内の原告らの日ごろの原則的な騒音屋外値とするのが相当というべきである。」(原判決二一六ページ末行から二一七ページ四行目まで)とし、具体的には、被上告人らを、交通量(深江交差点より神戸側、同交差点から西宮インターチェンジまで、同インターチェンジから尼崎側)、道路構造(標準部、ランプ部、高架部、段差部の別)、道路との位置関係(沿道一列目、沿道二列目以降で見通しの良いもの、沿道二列目以降で見通しの悪いもの)により区分し、さらに、交通量については顕著な騒音変動要因に当たらないものとして、後二者の条件により区分し、同じグループに属する鑑定対象被上告人らの数値をもって、その屋外騒音推定値としている(原判決二一八ページ八行目から二三四ページ五行目まで)。

(2) しかし、屋外騒音値については、上告人らの原審における第三準備書面の第六編、第八章、第四、「第一審原告らの暴露条件の多様性と暴露量の個別性」の項(第二分冊の一六二ページ以下)で詳しく述べたとおり、交通量、道路構造、道路との位置関係、介在建物の有無等の種々の要因により大きく変動するのみならず、これらの条件が同一のグループに属する被上告人らであっても、屋外騒音レベルは決して同一ではなく、かなりのばらつきが存するのであって、原判決のような認定方法がこうした騒音の実情を踏まえた適切な方法であるかについては疑問がある。

現に、騒音鑑定の結果によっても、同一グループに属するとされた被上告人らの騒音レベルにもかなりのばらつきがみられるのであって(例えば、A、B、Cのグループでは、原告番号三、五、三二、三八〔なお、原判決二三〇ページ五行目の35とあるのは38の誤り〕の被上告人らを除いても、最大値を示す被上告人と最小値を示す被上告人との間には約一〇ホンの差があり、数ホンの差は珍しくない。)、鑑定対象外の被上告人が所属するとされたグループの騒音レベルの幅の中に収まっているという保証はないのである。

(3) しかも、原判決は、これらグループの屋外騒音値を推定するについて、必ずしも控え目の数値を採用していないのである。

例えば、I、Jのグループの最小値は64.6ホン(A)(瀧口勇・原告番号八五の敷地境界測定点)であるのに、原判決は、このグループの騒音値を六五ないし七〇ホンの範囲内とし、Oのグループの最小値は57.0ホン(A)(松永葉子・原告番号一二〇)であるのに、原判決は、これを六〇ホンを超える程度とし、G、Hのグループの実測値は六四ホン(A)(有田ミサカ・原告番号一二五)であるのに、岡本とし子(原告番号一三一)については、道路からの距離が近いという理由のみで、六五ホンをやや上回る程度としているのである(原判決二三〇ページ四行目から二三四ページ三行目まで及び別紙C参照)。

また、中村松子(原告番号二九。ただし、同人は控訴していない。)については、被上告人らから、騒音測定値が甲A第九〇一号証として提出されており、その数値によれば、Leqの二四時間平均値は63.5ホン(A)であって、被上告人ら自身、右数値が同人の屋外騒音レベルである旨主張している(被上告人らの原審における最終準備書面八七ページ以下の表参照)にもかかわらず、原判決は、特段の理由も示さずに「ほぼ六五から七〇ホンの間という同じ条件下にあるとみられる」(原判決二三一ページ四・五行目)としているのである。

同様に、原判決は、佐藤秀夫(原告番号一〇六)をNのグループに属するとして、推定値を六五ないし七〇ホン(A)としている(原判決二三二ページ末行から二三三ページ一行目まで)が、甲A第九〇一号証によれば、実測値はそれよりも大幅に低い59.9ホン(A)なのである。

上告人らは、被上告人らによる測定値の正確性を全面的に承認するものではないが、騒音値の推定には既に述べたような不正確な点が存するのであり、低い実測値が存するにもかかわらず、特段の理由も示さずにそれより高い推定値を採用することは、経験則・採証法則を誤ったものか、理由不備があるものであり、かつ、原判決が控え目の原則に従うとしたことと矛盾し、その理由に齟齬があるものというべきである。なお、右の中村松子に関して、原判決は、「原告ら測定の数値が低いとの理由のみで別途補正すべきとする理由は見当たらないといえる。」(原判決二三一ページ六、七行目)とするが、これは、推定値が実測値よりも正しいとする誤った前提に立つものであるか、又は立証責任が被上告人らにあることを看過したものであるといわざるを得ない。

(三) 以上のとおり、原判決の騒音値の推定は、その方法が適切であるとはいい難い上、控え目の原則に従うとしながら、実際の認定においてはこれに従っていないものであり、原判決には、この点において理由不備又は理由齟齬があるほか、経験則・採証法則違背の違法があり、かつ、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

4 排ガスに侵害行為性を認めた認定判断の誤り

(一) 原判決は、「本件道路が自動車の走行の用に供されることにより発生する騒音等のうち、原告らに対する直接的な侵害として認められる最も重要なのが騒音であり、これに浮遊粒子状物質が加わるのであるが、これらに付随し間接的な侵害作用を及ぼすのが、浮遊粒子状物質を除く排ガスであるというべきである。たとえば、排ガスの成分である窒素酸化物は刺激性を有し、それだけでも嫌悪感を招くのが通常であろうが、さらに、人の健康への被害をもたらす性質があるから、直接に被害を及ぼす程度に達するものでないにしても、それを受ける者に少なからず心理的負荷をかけることは、否み得ないというべきである。したがって、これが騒音に伴うことになれば、騒音被害には情緒的要素があるから、その情緒を刺激することになるからである。」(原判決二六一ページ四行目から二六二ページ三行目まで)、「かなり高レベルの騒音に、濃度はそれほどでないにしても排ガスが伴って、複合的に影響する」(原判決二六四ページ一、二行目)と判示し、結論として、排ガスの侵害行為性を肯認している。

(二) まず、原判決は、直接的な侵害行為として、騒音のほか、本件道路を走行する自動車から発生する浮遊粒子状物質を挙げるが、この物質がいかなる意味で被上告人らに対し直接危険を及ぼすのかについては、全く説示するところがない。したがって、この浮遊粒子状物質の侵害行為性に関する判断には、理由不備があるというべきである。

もっとも、原判決は、受忍限度の判断において、「浮遊粒子状物質に着目すれば、(中略)洗濯物の汚れその他につき、受忍限度を超える被害を与えている」(原判決四〇七ページ三行目から六行目まで)と判示しており、その一方で、後記のとおり、浮遊粒子状物質を含む排ガスによる健康被害については認めるに足りる証拠はないとしているところからすると、浮遊粒子状物質による侵害行為性を、洗濯物の汚れをもたらす点に認めていると理解できなくもない。しかし、被上告人らが訴える洗濯物の汚れについては、被上告人らの居住地が多数の工場群や事業所に近接し、そこからもばい煙や粉じんが排出されていることや、黄砂のように遠方の粉じんが自然現象によって運ばれることもあり得ることなどから、他原因によることも十分に推測されるにもかかわらず、右の汚れが果たして本件道路を走行する自動車から発生する浮遊粒子状物質に起因するのかどうかの点につき、原判決は、何ら具体的な判断を示しておらず、原判決には、この点において理由不備又は理由齟齬があるほか、経験則・採証法則違背の違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

(三) 次に、浮遊粒子状物質を除く排ガスの間接的な侵害行為性についての原判決の認定判断には、以下のとおりの誤りがある。

(1) 原判決のいう窒素酸化物は、一般的に二酸化窒素を指すと考えられるが、原判決三三五ページ一〇行目から三三六ページ九行目までにおいて引用する第一審判決三二八丁表三行目から八行目までにおいて認定されている同判決請求原因五、2、(二)、(2)(二酸化窒素の人体への影響、第一審判決三八丁裏一二行目から四〇丁表一〇行目まで)によれば、二酸化窒素の職業性の急性中毒症は、大気汚染レベルに比べて高い濃度で発生しているものであること、吸入実験等においても、被験者が臭い等を感じるのは0.11ないし0.12ppm以上の濃度であることが認められている。

ところで、原判決の認定(二四〇ページ八行目から二四八ページ三行目まで)及び原判決二四〇ページ三行目から七行目までにおいて引用する第一審判決の認定(一八一丁裏一二行目から二〇〇丁裏三行目まで)によれば、本件道路沿道の二酸化窒素の濃度は、一日平均値の年間九八パーセント値で0.05ppmから0.08ppmの範囲内にあり、九八パーセント評価による一日平均値が0.06ppmを超えた日数は、ごくわずかであることが認められ、本件道路沿道の二酸化窒素の濃度は、臭いを感じるいき値を大幅に下回っているものである。

したがって、現在の本件道路沿道の大気汚染濃度程度では、二酸化窒素が人に感じられるような刺激性を有することはあり得ないものというべきであるにもかかわらず、二酸化窒素が一般的に人体への刺激性を有することのみを根拠として、これに嫌悪感を招くのが通常であるとして、侵害行為性を肯認しようとする原判決の認定判断には、明らかな理由不備又は理由齟齬があるほか、経験則違背の違法があるというべきである。

(2) さらに、原判決は、前記のとおり、二酸化窒素が「人の健康への被害をもたらす性質があるから、直接に被害を及ぼす程度に達するものでないにしても、それを受ける者に少なからざる心理的負荷をかけることは、否み得ない」と判示している。

もとより、現在の大気汚染濃度を大幅に上回るような高濃度の二酸化窒素が人体に数々の悪影響を及ぼすことは、原判決の引用する第一審判決の認定するとおりであるが、二酸化窒素にそのような性質があるからといって、濃度を全く無視し、刺激性を有することのない濃度の、したがってその存在に気付くこともない二酸化窒素にさらされることにより心理的負荷をかけているとする原判決の判断は、現実離れした観念論であるといわざるを得ない。例えば、一酸化炭素は濃度が高くなれば人を死に至らせるが、現在の大気に一酸化炭素が微量でも含まれているからといって「人の健康への被害をもたらす性質があるから、直接に被害を及ぼす程度に達するものでないにしても、それを受ける者に少なからざる心理的負荷をかけること」になるなどということは、経験則上あり得ないことである。したがって、一般的な二酸化窒素の性質からその濃度を問題とすることなく、直ちに心理的負荷をかけるとする原判決の判断は、経験則に違背するというほかない。

(3) 原判決三三五ページ九行目から三三六ページ九行目までにおいて引用する第一審判決四〇三丁表一一行目から四二一丁表五行目までの判示からも明らかなように、二酸化窒素は、物が燃焼するところでは必ず発生する気体であり、土壤中にあるバクテリアによっても生成されるほか、タバコの煙の中、ガスストーブ等家庭内排煙の中にも相当量含まれているのである。もし、その濃度を問題とすることなく、このような気体にさらされること自体により、各種の健康被害を受けるかもしれないなどと考え、不安感をつのらせるとすれば、それは、合理的根拠のない妄想に近い状態といって過言ではなく、一般人を前提とした場合まず考えられないことであり、情緒を刺激するなどということもあり得ないというべきである。

したがって、本件道路を走行する自動車から排出される排ガスには、現状の大気汚染濃度を前提とする限り、被上告人らに危害を及ぼすような危険性は認められないから、その侵害行為は否定されるべきである。

(四) 以上述べたように、排ガスの侵害行為性に関する原判決の認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る瑕疵及び因果関係の解釈適用の誤り並びに経験則・採証法則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

二 被害に関する評価及び認定方法についての理由不備・理由齟齬、国賠法の解釈適用の誤り、経験則・採証法則違背〈省略〉

三 被害に関する具体的認定判断についての理由不備・理由齟齬、国賠法の解釈適用の誤り、経験則・採証法則違背〈省略〉

第二点 回避可能性についての判断遺脱

原判決は、国賠法二条一項を適用して被上告人らの損害賠償請求を認容したが、右判断には、同条項の瑕疵の要件である危険発生の回避可能性に関する判断の遺脱又は同条項の解釈適用の誤りがあり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 国賠法二条一項の公の営造物の設置・管理の瑕疵の判断に当たっては、当該営造物の設置・管理者において危険発生を回避することが可能であったことをその要件の一つとして判断すべきものであるところ、原判決は、右回避可能性につき、何ら判断することなく、上告人らの損害賠償責任を肯認している。

同条の瑕疵の要素については、いわゆる物的瑕疵に関して、最高裁判所昭和五〇年六月二六日第一小法廷判決(民集二九巻六号八五一ページ)が、「本件事故発生当時、被上告人において設置した工事標識板、バリケード及び赤色灯標柱が道路上に倒れたまま放置されていたのであるから、道路の安全性に欠如があったといわざるをえないが、それは夜間、しかも事故発生の直前に先行した他車によって惹起されたものであり、時間的に被上告人において遅滞なくこれを原状に復し道路を安全良好な状態に保つことは不可能であったというべく、このような状態のもとにおいては、被上告人の道路管理に瑕疵がなかったと認めるのが相当である。」と判示し、営造物の設置・管理者において回避可能性がなかった場合には、瑕疵がないこと、すなわち、回避可能性の存在が瑕疵の要素として国賠法二条一項に基づく損害賠償請求権の要件であることを明らかにしている。

また、いわゆる供用関連瑕疵に関しては、そもそもこれが国賠法二条一項の瑕疵に含まれるかどうかについて問題のあるところではあるが、判例上これを認めた大阪国際空港訴訟における最高裁判所昭和五六年一二月一六日大法廷判決(民集三五巻一〇号一三六九ページ。以下「大阪空港最高裁大法廷判決」という。)は、供用関連瑕疵について、次のように判示している。すなわち、「当該営造物の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りにおいてはその施設に危害を生ぜしめる危険性がなくても、これを超える利用によって危害を生ぜしめる危険性がある状況にある場合には、そのような利用に供される限りにおいて右営造物の設置、管理には瑕疵があるというを妨げず、したがって、右営造物の設置・管理者において、かかる危険性があるにもかかわらず、これにつき特段の措置を講ずることなく、また、適切な制限を加えないままこれを利用に供し、その結果利用者又は第三者に対して現実に危害を生ぜしめたときは、それが右設置・管理者の予測しえない事由によるものでない限り、国家賠償法二条一項の規定による責任を免れることができないと解される」と判示している。

右判示から明らかなとおり、同判決は、供用関連瑕疵が認められるための要件として、「右営造物の設置・管理者において、かかる危険性があるにもかかわらず、これにつき特段の措置を講ずることなく、また、適切な制限を加えないままこれを利用に供し、その結果利用者又は第三者に対して現実に危害を生ぜしめたとき」(傍点引用者)を挙げている。これは、その反対解釈として、供用関連瑕疵が認められるためには、営造物の設置・管理者において危険性につき特段の措置を講ずること又は営造物の利用方法、利用態様等について適切な制限を加えることが可能であること及び右のような措置を講じ、又は適切な制限を加えれば、危害の発生を回避することが可能であること、すなわち回避可能性があることを当然の前提としていることは明らかである。

二 このように、国賠法二条一項の瑕疵の判断に当たっては、回避可能性の要件の認定が必要なのであり、上告人らは、かかる解釈を前提として、原審において、一審判決のこの点に関する判断の誤りを指摘し、回避可能性の判断に当たっては、営造物の設置・管理者の当該営造物の設置・管理に関する法律上の権限を考慮すべきであること、道路において供用関連瑕疵が問題となる場合の回避可能性の判断に当たっては、財政的・技術的及び社会的制約を考慮すべきであること、本件道路の環境対策に関して道路の設置・管理者に与えられた権限は極めて限定されており、その行使についても財政的、技術的及び社会的制約を免れ得ないが、右諸制約の下で、本件道路の設置・管理者は、その権限の範囲内で最大限の措置を講じてきたこと、したがって、仮に、被上告人らに何らかの危害を発生させたとしても、本件道路の設置・管理者にとって、それは回避不可能なことといわざるを得ないから、本件道路の設置又は管理に瑕疵があるとはいえないことを詳細に主張したところである(原審における上告人らの第三準備書面第一分冊五四ページから一一二ページまで)。

三 しかるに、原判決は、回避可能性に関して何らの判断も示さないまま、本件道路の設置又は管理に瑕疵があるものとし、上告人らの国賠法二条一項に基づく責任を肯認したものであって、原判決には、同条に基づく責任の要件としての回避可能性について判断を遺脱した違法があるものといわざるを得ない。

また、仮に、原判決が回避可能性を瑕疵の要件としない趣旨で判断を示さなかったものであるとすれば、原判決には、国賠法二条一項の解釈適用を誤った法令違背があるものといわなければならない。そして、仮に、本件道路の供用により被上告人らに原判決認定の被害が生じているとしても、前記のとおり本件道路の設置・管理者がこれを回避することは、法律上も事実上も不可能であったのであるから、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第三点 違法性(受忍限度)に関する認定判断の誤り

原判決は、本件道路を走行する自動車の騒音、排ガス等により、被上告人らに受忍限度を超える被害が生じているとした。しかし、仮に、被上告人らに何らかの被害が生じているとしても、それは社会生活上受忍すべき範囲内のものであるから、本件道路の供用行為に違法性はないというべきであって、右違法性を認めた原判決の判断の過程には理由不備又は理由齟齬があるほか、その認定判断には国賠法二条一項の瑕疵の要件である違法性(受忍限度)の解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 違法性(受忍限度)の判断要素の評価の誤り

国賠法二条一項の瑕疵の判断に関して、大阪空港最高裁大法廷判決は、「本件空港の供用のような国の行う公共事業が第三者に対する関係において違法な権利侵害ないし法益侵害となるかどうかを判断するにあたっては、上告人の主張するように、侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間にとられた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の事情をも考慮し、これらを総合的に考察してこれを決すべきものであることは、異論のないところであ(る)」と判示して、空港あるいは本件で問題とされている道路の供用のような国の行う公共事業について国賠法二条一項の瑕疵を認めるには、右に判示する各判断要素を総合的、全体的に評価した上での違法性の判断が必要であることを明らかにしている。原判決も、「本件道路を一般的に自動車の走行の用に供することによって発生する騒音、排ガス等の程度が一定の限度にとどまる限りにおいては、原告ら沿線住民に危害を生ぜしめる危険性がなくても、これを超える利用に供されることによって発生する騒音、排ガス等が危害を生ぜしめる危険性の存する常況にある場合にもかかわらず、これにつき被告らが特段の措置を講ずることなく、また、利用につき適切な制限を加えなかったとすれば、この供用につき利益衡量の結果として違法性を肯定することができる限り、本件道路の設置又は管理に瑕疵がある」(原判決一六二ページ一〇行目から一六三ページ六行目まで)と判示し、国賠法二条一項の瑕疵を認めるには違法性が肯定されることが必要であるとした上で、右違法性の判断について、基本的には大阪空港最高裁大法廷判決の判示する違法性の判断手法に沿って、「原告らの被侵害利益が、本件道路を走行する自動車の発生する騒音等によって侵害されているところ、被告らの責任を肯定するためには、違法性の審査として、被告らが主張するように、かかる騒音等の程度が、社会の一員として社会生活を送る上で受忍するのが相当といえる限度を超えているかどうかによって決せられるものといえる。」(原判決三七四ページ七行目から末行まで)とし、「右受忍限度を判断するにあたっては、侵害の態様とその程度、被侵害利益の性質とその内容、侵害行為の公共性、発生源対策、防止策、行政指針及び地域性等について、総合的な判断が必要である。」(原判決三七五ページ四行目から六行目まで)と判示している。

しかしながら、原判決は、本件における違法性の判断において、右に掲げる違法性の判断要素を総合評価するに当たり、違法性を肯定する要素については、これを過大に評価し、他方、違法性を否定する要素については、これに判断を加えず、あるいは不当に低い評価しか与えないという誤りを犯し、その結果、結論としても違法性を肯定するという誤った違法性判断をしたものである。したがって、原判決の右認定判断には、以下に述べるとおり、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性の解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

1 侵害行為の態様と侵害の程度

前記上告理由第一点においては、国賠法二条一項の設置又は管理の瑕疵について、営造物に他人に危害を及ぼす危険性のある状態を国賠法一条一項に準じて「侵害行為」とし、本件道路を走行する自動車から発生する騒音、排ガス等が侵害行為といえるか否かを問題とした上、これを肯定した原判決の認定判断には誤りがあること、及びそもそも右騒音、排ガス等に侵害行為性はないことを明らかにしたところである。

しかし、仮に、本件道路沿道において騒音、排ガスの侵害行為性を一部肯定する余地があり得るとしても、以下に述べるとおり、その侵害行為の態様及び侵害の程度に重大さ、深刻さはなく、むしろ極めて軽微なものと評価すべきであるから、右侵害行為性は、被上告人らに受忍限度を超える被害があるか否かを判断するにつき、これを肯定する方向で重視すべきものではないというべきである。さらに、そもそも右侵害行為は直接的には本件道路を走行する自動車の運行によるものであって、本件道路の設置・管理者である上告人らは侵害行為の直接の当事者とはいえないこと、自動車交通の社会的相当性及び本件道路の建設の必要性等を侵害行為性の評価において考慮し、かつ、後記の本件道路の公共性、環境対策等を正当に評価するならば、被上告人らに何らかの被害が生じているとしても、これが社会生活上受忍すべき限度を超えるものでないことは明らかである。

(一) 原判決は、侵害行為の態様及び侵害の程度について、原判決理由第六(侵害状況等)において、被上告人ら「に対する直接的な侵害として認められる最も重要なのが騒音であり、これに浮遊粒子状物質が加わるのであるが、これらに付随し間接的な侵害作用を及ぼすのが、浮遊粒子状物質を除く排ガスである」(原判決二六一ページ五行目から八行目まで)と判示し、騒音については、「屋内値、屋外値といった断片ごとのレベルで評価するのは相当でない。むしろ、情緒的な被害を想定する限り、一般的に被曝露時間の長い屋内値ではなく、基本的には屋外値を中心に据えて総合的に影響性を評価するのが、真相に合致すると解すべきである。もっとも、かかる見地からの騒音による侵害の程度の評価は、さきに分類して推認した屋外騒音レベルに依拠して行わなければならない。」(原判決二六二ページ四行目から九行目まで)と判示するが、右認定判断には、以下のとおり理由不備又は理由齟齬があるほか、経験則違背の違法がある。

(1) まず、原判決は、右判示のとおり、一応侵害行為が何であるかを指摘する。ところが、原判決は、侵害行為の態様及び侵害の程度について、直接的な侵害行為とした浮遊粒子状物質についてはこれを一切明らかにしておらず(上告理由第一点、一、4、(二)参照)、間接的な侵害行為とした浮遊粒子状物質を除く排ガスについても、窒素酸化物につき、その刺激性のゆえに嫌悪感を招き、受ける者に少なからざる心理的負荷を与えるという一般的な侵害態様を述べるのみであり、侵害行為性をもたらす程度について触れるところがない(同第一点、一、4、(三)参照)。浮遊粒子状物質の侵害行為性について原判決がわずかに具体的に指摘しているものとしては、洗濯物の汚れがあるのみである。しかし、原判決は、これについてさえも、果たして本件道路を走行する自動車からもたらされたものといえるのかという点について具体的判断を全く示さないまま(同第一点、一、4、(二)参照)、突如として、受忍限度の判断において、「浮遊粒子状物質に着目すれば、(中略)洗濯物の汚れその他につき、受忍限度を超える被害を与えている」(原判決四〇七ページ三行目から六行目まで)と判示するのであって、原判決が、浮遊粒子状物質を含めて排ガスに関し、侵害行為の態様及び侵害の程度を明らかにしないまま受忍限度の判断をしていることは明らかであり、右のような判断は、理由不備又は理由齟齬のそしりを免れない。

また、原判決は、浮遊粒子状物質を除く排ガスの侵害行為性について、窒素酸化物(主に二酸化窒素)は、それに暴露された者に対し、その刺激性ゆえに嫌悪感を、さらに人の健康に被害をもたらす性質があるゆえに心理的負荷をそれぞれ与える旨指摘するが(原判決二六一ページ八行目から末行まで)、この判断が誤りであることは、既に上告理由第一点、一、4、(三)で述べたとおりである。しかし、仮に、何がしかの嫌悪感や心理的負荷を認め得たとしても、原判決自身、現状の大気汚染濃度の下において排ガスと健康被害との因果関係を認定することができないことを明確に判示しているのであるから(原判決三六七ページ八行目から一〇行目まで、同四〇六ページ一〇行目から四〇七ページ三行目まで)、右嫌悪感や心理的負荷はごく軽度なものというべきであり、したがって、受忍限度の判断において、排ガスによる侵害行為の態様及び侵害の程度につき違法性を肯定する方向でこれを重視することは、妥当性を欠くというべきである。

(2) 次に、原判決は、侵害行為としての本件道路交通騒音について、その態様及び侵害の程度を、屋外騒音レベルに依拠して判断すべきものとしている。

しかし、上告理由第一点、一、2において明らかにしたとおり、原判決が認定した被害は、いずれも主として室内における生活への影響を問題とするものであるから、室内騒音レベルを基準として侵害行為の態様及び侵害の程度を判断するのが当然であり、本件道路交通騒音につき、屋外騒音レベルを基準として右の判断をした原判決には明らかな誤りがある。

そして、室内騒音レベルを基準としてこれをみるとき、これまで繰り返し述べたとおり、被上告人ら居宅の窓を閉めた時の室内騒音レベルは、Leq値で夜間平均三八デシベル(A)、昼間平均42.9デシベル(A)と、そもそも侵害行為性を有しない程度のものというべきであり、少なくとも侵害行為の態様及び侵害の程度としては、極めて軽微なものであることは明らかであるから、受忍限度の判断においては、むしろこれを消極的に評価する要素として位置づけるべきである。

(3) また、原判決の認定した被害は、そのほとんどが室内の、しかも通常窓を閉めた状態において生じる生活妨害であることからすると、前記(2)のとおり、本来、窓を閉めた時の騒音レベルを問題とすれば足りるというべきであるが、原判決も若干指摘するように、季節によっては窓を開けた状態における日常生活も考えられないわけではなく、このような場合、一時的に本件道路交通騒音を避けるためにあえて窓を閉めた状態にしておくこともあり得よう。原判決は、これをも被害と認定している。

しかしながら、上告理由第一点、三、1、(四)で述べたとおり、まず、夜間窓を開けるというのは、夏期のごく限られた期間のみであり、現代の都市生活においては、窓を開けた状態の生活は例外的なものとなってきているのである。また、本件道路沿線における居宅の奥側の部屋の騒音レベルは、木造の防音工事未実施の建物の窓を開けた状態でも平均四一デシベル(A)にすぎないとのデータ(上告人らの原審における第三準備書面第二分冊二〇四ページの表六―八―4参照)が示すとおり、窓を閉めた時とほとんど変わらないのである。したがって、睡眠妨害については、窓を開けた状態でも寝室の位置等を工夫すればこれを避け得るのであるから、仮に何がしかの妨害が存するとしても、これを受忍限度を超えるか否かの判断において肯定する方向で重視することは、妥当性を欠くというべきである。

また、上告理由第一点、三、5で述べたとおり、会話等の聴取妨害などの生活妨害や道路交通騒音を避けるため殊更窓を閉めた状態にすることの不快感等についても、現代では冷暖房や換気による室内の快適化、インテリアの充実による室内の明るさの維持、更には、室内娯楽の普及などによって、窓を閉めた状態の生活が精神的苦痛を招くようなものでなくなってきている上、特に都市部の日常生活においては窓を開けた状態の生活というのはむしろ少なくなっているというべきであるから、侵害行為の態様及び侵害の程度の評価においてこれを重視することは相当でないといわなければならない。なお、原判決の認定した生活妨害の中には、音楽鑑賞時の妨害等、日常生活の中では一時的なものにすぎないものもみられるが、これについては、仮に窓を閉めた状態が強いられることがあったとしても、その一時性のゆえに、被害としては軽微なものと、一層強くいえるであろう。むしろ、音楽鑑賞の場合には、その音響により近隣へ迷惑を及ぼすことを避けるため窓を閉めるのが常識的とも考えられるところである。

そうすると、受忍限度の判断において、本件道路交通騒音は、窓を開けた状態の騒音レベルでみても、また、そのために一時的に窓を閉めた状態を余儀なくされるという観点からみても、その侵害行為性は、相当に軽微なものと評価すべきである。

(4) なお、日常生活の大部分は室内で営まれるとはいえ、外出する等屋外での生活もあるのであるから、本件道路交通騒音による屋外での生活妨害も考えられなくはない。

しかし、上告理由第一点、一、2、(二)で述べたとおり、日常生活において本件道路端にいるのは、通勤、通学、又は買い物に行く途中などのわずかの時間にすぎないのであるから、仮に、その際、本件道路交通騒音により不快感を受ける被上告人らがいたとしても、それは、社会生活上、受忍限度を超える被害として考慮するに値しないものであることは明らかである。

また、会話妨害についていえば、屋外で知人と立ち話をすることもないではなく、その場合は、屋外騒音レベルを基準として侵害行為性を評価することになろう。しかしながら、屋外の立ち話等も、日常生活においては、偶然性のあるごく一時的なものの範ちゅうに入るといってよく、その際の会話の聴取に不便さは感じるであろうが、L50で八〇デシベル(A)という地下鉄の車内ですらはっきりと話せば会話が十分可能であることを考えれば、会話妨害の程度はそれほど大きくないということができる。

したがって、仮に、屋外生活において会話妨害等の生活妨害があったとしても、その一時性等を考慮すれば、受忍限度の判断において、屋外の騒音レベルを基準としてみても、本件道路交通騒音の侵害行為性を重視するのは、妥当性を欠くというべきである。

(二) 違法性の判断要素として、本件道路交通騒音等の侵害行為性を問題にするについては、以下の点も十分考慮する必要がある。

(1) 本件道路交通騒音等の侵害行為性を評価する上で、基本的な視点として忘れてはならないことは、被上告人らに対する直接の侵害行為を行っている者は、被上告人ら自身をも含めた本件道路を自動車で走行する不特定多数の国民であるということである。他方、本件道路の設置・管理者である上告人らは、被上告人らに対する直接の侵害行為者に当たらず、強いていえば、本件道路のように多くの自動車の走行を可能とする施設を設置してこれを不特定多数の国民の利用に供しているという限りにおいて、間接的に侵害行為に関与していると評価し得るにすぎないのである。

結局、本件道路の設置・管理者である上告人らは、このような国民の自動車利用を所与のものとして受け止めるべき立場にあり、上告人らが本件道路交通騒音等を防止ないし軽減する手段として行い得ることは、他の道路の新設、交通需要に応じた既存道路の車線削減、あるいは、環境施設帯や遮音壁等の設置、防音助成等の各種環境対策しかないのである。これまで上告人らが本件道路沿道について可能な限り右の各種対策を採ってきたことは、後記4のとおりである。

(2) また、本件道路における個々の自動車の走行をみると、それ自体は社会的に相当な行為であり、もともとこれが違法視されることはあり得ないものである。したがって、本件道路上において走行する自動車が多数に及んだからといって、それが、直ちに違法となるということも、本来あり得ないのである。

さらに、被上告人らの中でも、多数の者が自ら自動車を保有しており(乙H第八、第九号証)、居住地との関係からして当然本件道路を頻繁に利用しているであろうし、また、被上告人ら全員が、本件道路を走行するバス、タクシーを利用し、あるいは、本件道路を走行する自動車によって運搬される生活物資及び産業物資により日常生活において多大の利便を享受しているのである。以上のことは、本件で直接の侵害行為とみるべき自動車の走行そのものが、極めて日常性を帯びた社会的行為であり、かつ、その大部分が社会的に有用・有益な行為であって、被上告人ら自身がその恩恵を受けていることを如実に示しているのである。原判決は、この点につき、「原告らの一部を含む周辺住民が、結果的に本件道路により多少の反射的な利益を受けていることは、否定できない」(原判決四〇三ページ二、三行目)という程度の消極的な評価しか加えていない。しかし、右のとおり、被上告人らの中には自ら自動車を保有して本件道路を利用し直接的な利益を受けている者が相当数存在し、また、それ以外の被上告人らについても、単なる反射的利益とはいえないほど本件道路から極めて大きな利益を受けているのであり(その詳細については、後記3のとおりである。)、原判決が「否定できない」という表現まで用いてこのことを不当に低く評価しているのは、明らかに経験則に違背する認定判断というべきである。

(3) ところで、原判決は、「本件の如く極めて大きい潜在的需要を秘めた地域に、大規模な道路が新設されれば、交通需要を刺激するに至ることは、見易い道理である。逆に、この点の読みがあればこそ、これだけの道路を新設したともいえよう。」(原判決四〇一ページ一〇行目から四〇二ページ二行目まで)と判示していることからすると、多数の自動車の走行をもたらした本件道路の開設を問題とするように考えられなくもない。

しかし、阪神間という大量の自動車交通需要が存在する地域においては、大型の幹線道路が必要不可欠であることは明らかであり、このことは、大動脈がなく毛細血管のみでは人体の維持に必要な血液の循環が確保できないことと同様である。そして、この需要に応じて阪神間の幹線道路として本件国道の設置等が社会的に強く要請されるようになったのである。

このような本件道路の設置の経緯は、原判決理由第五に判示するとおりであり、その詳細は、上告人らの原審における第三準備書面第一分冊二一五ページ以下において述べたとおりである。すなわち、本件国道は、当時の、あるいは今後予想される交通需要に対応すべく、また、当時の阪神都市圏の大動脈である国道二号の交通渋滞を緩和し、交通を分散させることを至上の命題として、第二阪神国道と位置づけられて開設されたものであり、本件国道の右のような性格及び阪神都市圏における道路開設のための新規の用地取得の困難性等諸般の事情に照らすと、結果的に被上告人らの居住地に近接する地域に本件道路を開設することとなったのは誠にやむを得ないことというべきである。特に、本件国道が設置された当時は、交通渋滞が解消されるなどとして地域住民もこぞって歓迎したのであり(乙第六号証)、これに反対する意見はほとんど出されなかったのである。

また、原判決の右判示部分が、もしも本件道路の供用によって新たな自動車交通の需要が創出され、自動車の走行を増加させたということを指摘するものであるとすれば、それには大きな誤りがある。すなわち、道路交通需要は、本来、人口や諸機能の集積、社会経済的活動の活性度、所得水準等の道路以外の要因により規定されるものであり、道路整備によって新たに道路交通需要が創出されるものでないことは自明の理である。したがって、本件道路交通騒音等について、その侵害行為性を重大なものとする要素として、この点を評価することは、経験則に反するものというべきである。

(4) 原判決は、侵害行為とされる本件道路交通騒音等について、以上のような本件道路の設置・管理者の侵害行為に対する関与の間接性、直接の侵害行為性が問題とされる個々の自動車走行の社会的相当性・有用性、阪神都市圏の交通需要に対応すべく本件道路を開設したことの必要性等に目を向けることなく、侵害行為の態様及び侵害の程度を評価し、結局、違法性判断における総合評価を誤って被上告人らの被害が受忍限度を超えると判断したものであって、右認定判断には、国賠法二条一項に係る違法性の解釈適用の誤り及び経験則違背の違法がある。

2 被侵害利益の性質と内容

上告理由第一点、二及び三で明らかにしたとおり、本件道路交通騒音等によって被上告人らに被害が生じているとする原判決の認定判断には理由不備又は理由齟齬及び経験則・採証法則違背等の違法があり、かえって、原判決が認定した騒音、振動、排ガスの健康影響に関する科学的知見、被上告人ら居宅の窓を閉めた時、窓を開けた時の騒音レベル、本件道路沿道の大気汚染濃度等の客観的事実関係に照らせば、本件道路交通騒音等が被上告人ら沿道住民に危害を生ぜしめる危険性はほとんどなく、被上告人らに被害は生じていないといわざるを得ない。

しかし、仮に、何がしかの生活妨害が認められ、これを被害と考える余地があるとしても、その実質は騒音、排ガス等に対する単なる不快感でしかなく、受忍限度の判断において、その程度の生活妨害は、被侵害利益としてはそれほど重視すべきものではないというべきである。この点については、原判決自体、「原告らの被害は、前記認定のとおり生活妨害に止まるものであるといわざるを得ない。」(原判決四〇三ページ八、九行目)と判示しているところである。

そうすると、前記1で述べた本件道路交通騒音等の侵害行為の態様及び侵害の程度並びに後述する本件道路の公共性及び環境対策等の諸要素を総合考慮すると、このような被侵害利益の侵害をもって被上告人らに受忍限度を超える被害が発生していると評価することは到底できないというべきであり、これを肯認した原判決には、その前提となる被害の認定判断に、前記のとおり理由不備又は理由齟齬があるのみならず、経験則・採証法則違背等の違法がある上、違法性(受忍限度)の判断自体に国賠法二条一項に係る違法性の解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

(一) 原判決は、損害賠償請求との関係での受忍限度の判断において、「本件道路の供用によって原告らに相当の被害を与えている」(原判決四〇四ページ八、九行目)、「本件道路の公共性、経済的有用性は、原告らの犠牲の上に成り立っている」(原判決四〇四ページ一〇、一一行目)と判示し、被上告人らの被害なるものが極めて重大であるかのように述べている。

しかし、原判決が認めた被上告人らの被侵害利益の性質及び内容は、「原告らの共通の被害として把握されるのは、健康被害にまではいたらないものの、それに近接した段階の生活妨害」(原判決三七四ページ二、三行目)に対応する程度のものなのであり、原判決は、生命、身体、財産等に対する重大な、あるいは深刻な被害を認めているわけではなく、むしろ排ガスについては、既述のとおり現状の大気汚染濃度における健康被害の発生を明確に否定しているのである。しかも、上告理由第一点、二、1で述べたとおり、原判決は、個々の被害にまで至らない程度の軽微な生活妨害を、被害の総体的評価の名の下に積み重ねて被害としているのであって、個々の生活妨害に対応する生活なるものが被侵害利益として軽微なものであることは、原判決の判示からも明らかである。したがって、仮に、このような被害の総体的評価という手法による被害認定が許される余地があり得るとしても、被侵害利益の性質及び内容を評価するに当たっては、かかる手法を用いることによって辛うじて生活妨害を認めることができたという事実を十分考慮しなければならないことは当然である。

(二) 次に、上告理由第一点、二、2で述べたとおり、原判決が、主観的な被上告人らの供述及び陳述書のみを根拠として、本件道路交通騒音等による不快感の訴えを認め、これを被害と認定したにすぎないものであることも、被侵害利益の性質及び内容を評価するに当たって十分考慮すべきである。

このような訴訟当事者の主観的な訴えのみに依存する被害なるものが極めてあいまいであることは、本人尋問を実施した被上告人らがほぼ例外なく本件道路交通騒音、排ガスに対してそれほどの被害感や不快感を訴えていないことから明らかである(例えば、被上告人松田正人は、原審において、転居は考えなかったのかとの質問に対し、「考えません。というのは、これほど便利のいいところはないんです。環境はいいしね。」(第二回七丁表)と答えているのである。)。結局のところ、被上告人らが訴える被害なるものは、一時的な不快感でしかなく、だからこそ、それが反対尋問にさらされない陳述書においてのみ明確に記載され、法廷における供述では明確に現れてこないということが起こるのである。したがって、このような一時的な不快感についての被侵害利益は、そのあいまいさ等をも考慮に入れれば、受忍限度の判断要素として被侵害利益の性質及び内容を評価する上において、極めて軽微なものであり、到底重視すべきものには当たらないというべきである。

(三) 原判決の認めた個々の生活妨害の問題性は、上告理由第一点、三で詳述したとおりであり、また、前記1、(一)のとおり、本件道路交通騒音については、被上告人ら居宅の窓を閉めた状態における室内騒音レベルであれば、仮に不快感が生じることがあったとしても、問題なく受忍限度の範囲内ということができる。また、窓を開けた状態の室内であれば、その騒音レベルによっては不快感を生じることのある被上告人らもいなくはないかもしれないが、本件道路に面していない奥側の部屋の利用、現代の都市生活における窓を開けた状態の例外性、室内生活の快適化、窓を開けた状態の生活活動の一時性等にかんがみると、室内の窓を開けた状態により暴露される騒音による不快感も、受忍限度の判断においてそれほど重視するに値しないというべきであるし、屋外での会話妨害など、屋外騒音レベルによって受けることがある不快感も、その際立った一時性、例外性のゆえに受忍限度の判断において問題とするほどのものではないというべきである。

(四) 最後に、既に繰り返し述べたとおり、排ガスによる被害に関する原判決の認定判断は、極めてあいまいである。

まず、原判決が排ガスによる「有形無形の負荷」(原判決三六八ページ四行目)を被害としていることからすれば、原判決は窒素酸化物(二酸化窒素)による嫌悪感、心理的負荷(原判決二六一ぺージ九行目と末行)を無形の負荷と把握し、これらに対応する被侵害利益を評価しているように理解できるが、前記1、(一)、(1)のとおり、これらは被侵害利益としては極めて軽微なものというほかなく、受忍限度の判断において問題とするには値しないものというべきである。なお、浮遊粒子状物質について、原判決がいう無形の負荷なるものが何であるかは、全く不明というほかない。

他方、有形の負荷としては、原判決が「浮遊粒子状物質に着目すれば、(中略)洗濯物の汚れその他につき、受忍限度を超える被害を与えている」(原判決四〇七ページ三行目から六行目まで)と判示していることからすると、原判決は、浮遊粒子状物質による洗濯物の汚れのみを有形の負荷による被害とし、これに対応する利益を被侵害利益としているようである。判文上からは、それ以外に有形の負荷に基づく具体的な被侵害利益を想定することができない。

仮に、浮遊粒子状物質により洗濯物の汚れが発生していたとすれば、被上告人らにおいて不快感を抱くことは理解できなくはないが、この程度の不快感についてまで、被侵害利益の性質及び内容の評価において重視すべきかは極めて疑問であり、むしろ、前記1で述べた本件道路交通騒音等の侵害行為の態様及び侵害の程度並びに後述する本件道路の公共性及び環境対策等の諸要素を総合考慮すれば、被上告人らの右のような不快感は、明らかに受忍限度の範囲内のものというべきである。

3 侵害行為の公共性

原判決は、本件道路の公共性につき、「本件道路は、その公共性が非常に大きく、しかもこれに代替しうる道路がない」(原判決四〇三ページ一〇、一一行目)と正しく認定していながら、他方で、「本件道路の公共性、経済的有用性は、原告らの犠牲の上に成り立っている」(原判決四〇四ページ一〇、一一行目)と判示し、実質的には受忍限度の判断において正当な評価を与えておらず、侵害行為の公共性に関する原判決の認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

(一)(1) まず、原判決は、本件道路の公共性について、第一審判決が上告人らの主張どおりに認めた道路の有する一般的な公共性をそのまま肯認している。

すなわち、原判決は、現代の我が国における道路の社会・経済的作用として、道路には、①他の交通手段に比べ随意性、機動性、速達性において優れた特性を有する自動車交通並びに自転車及び歩行等の利用に供する交通施設としての機能、②一般沿道に連なる土地、建物への直接的な出入り及びより低位にある道路を利用して当該道路から離れた土地等への出入りを行うことができるというアクセス機能、及び③上下水道、電気・電話、共同溝、地下鉄等公共施設の収用、防災空間の確保という公共空間としての機能があり、これらにより国土全体の経済、社会基盤、地域社会の形成、日常生活活動の確保が図られるとともに、道路整備によって、道路利用者が走行時間の短縮、安全の向上等の直接的な効果を享受するのみならず、非利用者においても、輸送コストの軽減、生産・輸送の合理化といった市場効果、物価低減効果、交通立地条件の改善等による工業・資源開発効果、資産効果を受けることができる旨認めている(原判決三七六ページ一行目から五行目まで、第一審判決における被告らの主張二、4、(三)、(1))。その上で、原判決は、昭和六三年度までの①我が国の自動車保有台数及び交通量の増大、②貨物輸送における自動車の果たす役割の重大性及び自動車輸送の占める分担率の上昇増大、③近時の旅客輸送における鉄道等に比較した自動車の輪送分担率の上昇(原判決三七六ページ六行目から三八〇ページ三行目まで)を付加して認めているのである。

(2) 次に、原判決は、本件道路特有の重要性、公共性として、全体的、総合的見地に立脚して文明と環境の調和を見いだす必要を認めた上で、以下のとおり認定している(原判決三八〇ページ四行目から八行目)。

すなわち、原判決は、①地域特性として、尼崎市を除く本件道路沿道の各市は、幅二キロメートルほどの狭い帯状の平地ないし山麓地帯に位置するから、西日本における商工業の中心的地位を占める大阪市と神戸市を結ぶ交通路はもちろん、住居、産業もこの帯状地帯に集中せざるを得ないが、この阪神都市圏の各市においては、商工業及び中枢管理機能の強い大阪市、港湾流通機能の強い神戸市、住宅及び教育文化的機能の強い芦屋市及び西宮市並びに生産的機能が強い尼崎市がそれぞれの機能を補完し合っていること、②交通特性として、自動車交通量をみると、尼崎市、西宮市等の兵庫県内の大都市と大阪布及び神戸市との間に大きな道路交通の需要があり、阪神間の幹線道路の利用状況をみると、国道二号及び本件道路の合計交通量は増加傾向を示し、昭和五二年及び五九年における幹線道路の交通量分担状況は、本件県道が昭和五二年四二パーセント及び昭和五九年五一パーセントと最も大きく、本件国道との合計では昭和五二年七六パーセント及び昭和五九年八〇パーセントと大部分を占めること、本件道路は阪神間の広域的な計画に基づき建設されたものであり、阪神間各都市の機能分化及び相互関係に必要不可欠であり、阪神地域の道路網の中で他の道路と一体となった阪神都市圏ないし近畿圏全体の秩序ある発展の基礎となっていること、本件道路の設置ないし事業実施に当たっては住民の意見が反映されていること、③阪神間の幹線道路の利用状況とその特性として、本件国道及び本件県道を利用する交通のほとんどが、その沿線や周辺地区に起点又は終点を持つ交通であり、両道路共その沿線地域に密着し、それから発生する交通を処理していること、特に、本件国道は沿線や周辺地区内に起点及び終点の双方を持つ比較的短いトリップの交通を、本件県道は起点又は終点の一方のみを持つ比較的長いトリップの交通を、それぞれ多く分担し、両道路は、道路が有すべき機能を分担して、各々が一体不可分となって当該地域に関連する交通の処理に寄与していること、結論として、本件道路は、利用実態からしても当該地域に必要不可欠の交通を処理していること、④本件道路の役割として、本件道路を利用する乗用車交通及び貨物自動車交通のいずれも鉄道等への大きな転換は望めない状況にあり、本件道路がその有する機能を十分発揮できない状態が招来されれば、阪神都市圏の日常生活はもちろん、その経済活動等に及ぼす影響が多大なものになること等の事実を認定しているのである。

(3) 以上の原判決の認定によれば、本件道路は、その公共性及び重要性からして、阪神地区の発展において不可欠のものというべきであり、かつ、その沿道に居住することによって住民が受ける便益は極めて大きく、本件道路の存在が死活的な意味で重要性を有しているような住民も多数存在していることは明らかである。そして、前記1、(二)、(2)で述べたとおり、被上告人らの中にも、本件道路沿道という立地条件を生かして営業を行っている者(被上告人松田正人など)、さらに、自動車を保有し日常的に本件道路を利用している者(乙H第八、九号証)が多数存在し、これらの者は、直接的にも本件道路によって多大の利便を享受しているのである。

この意味で、大阪空港最高裁大法廷判決が受忍限度の判断において判示した言葉を借りれば、本件道路は絶対的ともいうべき優先順位を主張し得るものと評価することができるといっても、決して過言ではないであろう。

(二) そして、原判決も、差止請求の受忍限度の判断部分においてであるが、「原告らの被害は、前記認定のとおり生活妨害に止まるものであるといわざるを得ない。これに対し、本件道路は、その公共性が非常に大きく、しかもこれに代替しうる道路がないこと等を考慮すると、差止請求の関係では、原告らの被害は、未だ社会生活上受忍すべき限度を超えているとはいえないものである。」(原判決四〇三ページ八行目から四〇四ページ一行目まで)と判示しているところである。

しかるに、原判決は、受忍限度の判断において、差止請求との関係では右のとおり極めて当然の判断に及びながら、損害賠償請求との関係では、一転して、「本件道路の公共性、経済的有用性は、原告らの犠牲の上に成り立っているにほかならず、無視できない社会的な不公正が生じているといわなければならない」(原判決四〇四ページ一〇行目から四〇五ページ一行目まで)と判示している。しかも、右の判断過程においては、一方で、前記(一)の程度まで本件道路の公共性、重要性を認定しておきながら、何故損害賠償請求との関係では受忍限度を超えているとするのか、説得力のある理由づけが全くされていない。ただ、原判決は、右の受忍限度の判断において、「本件道路の供用によって原告らに相当の被害を与えていることは、すでに指摘したところである。そうだとすれば、本件道路の公共性、経済的有用性は、原告らの犠牲の上に成り立っている」(原判決四〇四ページ八行目から末行まで・傍点引用者)と判示しているところからすると、公共性との対比において、特に被上告人らの被害を利益衡量の対象として重視していることは明らかである。

しかしながら、原判決が右にいう「相当の被害」なるものは、原判決自身も「生活妨害に止まる」(原判決四〇三ページ九行目)というように生活妨害程度のものであり、しかも、その実質は、上告理由第一点、三及び前記2で明らかにしたとおり騒音、排ガス等に対する単なる不快感の域を出るものではないのであるから、原判決が前記のとおり本件道路に極めて高い公共性を認めるというのであれば、右の程度の被害は、損害賠償請求との関係においても当然受忍限度の範囲内のものとの判断がされてしかるべきはずのものである。また、原判決のいう「原告らの犠牲」が、身体的被害を伴うような深刻なものであれば、「犠牲の上に成り立っている」という評価もあり得ようが、その実質は、右の程度の「生活妨害に止まるもの」なのであるから、これをもって「無視できない社会的な不公正が生じている」とすることは、明らかな誤りである。

結局、原判決は、受忍限度の判断において利益衡量をするに当たり、本来重視すべきでない被上告人らの被害を過度に重視し、その一方、原判決の事実認定を前提とすれば当然に重視すべき本件道路の公共性を不当に軽視し、その結果、受忍限度の判断を誤ったものというべきであり、原判決の右認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があることは明らかである。

(三) なお付言すると、既述のとおり、大阪空港最高裁大法廷判決は、公共性を受忍限度の判断要素として掲げているが、それは、本件道路の供用のような国の公共事業等の高度の公共性のある行為に関して第三者に生じた被害が、身体的被害又はこれに準ずるような重大な程度に至らない精神的不快感、生活妨害のようなものである場合には、原則として、かかる被害は受忍限度の範囲内にあることを示しているというべきである。この点に関して、厚木基地訴訟における東京高等裁判所昭和六一年四月九日判決(判例時報一一九二号一ページ)は、「一般に公共性のある行為に伴って第三者に被害が発生する場合、加害行為を違法とするためには、公共性を帯びない行為との関係で受忍限度とされる程度を超える被害が生じているというのみでは足りないのであって、当該行為の公共性の性質・内容・程度に応じて受忍限度の限界が考慮されるべきであり、これについては、公共性が高ければ、それに応じて受忍限度も高くなるといわなければならない。本件の場合、本件飛行場の沿革、周辺地域の事情のもとで、被告による本件飛行場の使用及び供用行為の高度な公共性を考えると、これに基づく原告らの被害が前記のような情緒的被害、睡眠妨害ないし生活妨害のごときものである場合には、原則として、かかる被害は受忍限度内にあるものとして、これに基づく慰藉料請求は許されないのであり、例外的に、身体的被害の原因となる深刻な加害が存するときにのみ、更にその他の事情を併せ考慮して、受忍限度を超える被害があるものとして、その請求が許され得るものと解するのが相当である。」(同号七〇ページ)と判示しているが、右判示は、右の事理を明らかにしたものということができよう。

4 環境対策(被害防止措置)

原判決は、受忍限度の判断に当たって、上告人らの講じた対策についての検討を行っている(原判決三八〇ページ以下)が、損害賠償請求との関係で受忍限度を検討するに際しては、「被告らが周辺住民に対して実施した被害防止対策は、全体として巨額の費用を伴う真摯なものであったことは、前叙のとおりであるが、その点を考慮に入れても、本件道路の供用によって原告らに相当の被害を与えている」(原判決四〇四ページ六行目から九行目まで)と判示し、結論として被上告人らの被害は受忍限度を超えるものと判断している。しかし、右判断は、上告人らの講じた対策について、正当な評価を与えておらず、環境対策(被害防止措置)に関する原判決の認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

(一) 原判決は、被害防止対策に関し、発生源対策として、一般的な騒音及び排ガスに対する法規制のほか、道路側における交通規制として最高速度規制の強化(以前は毎時六〇キロメートルであったところ、現在は毎時四〇キロメートル)、無人速度取締機の設置等、道路構造面の対策として植樹帯、遮音築堤、遮音壁等の設置、沿道側における対策として住宅防音工事及び移転の助成、日陰及び電波障害対策、住環境整備モデル事業等の、ほぼ上告人らの主張に沿う事実を認定している。ところが、原判決は、これに続く「まとめ」の項においては、「もとより、その後に行われた環境対策は、右に見たとおり巨費を投じ、真摯なものであったことは、評価できるのであるが、それにしても十分に実効を収めているとまでは評し難い。」(原判決四〇二ページ一〇行目から四〇三ページ一行目まで)としている。

原判決のいう「十分に実効を収める」とは、いかなる程度をいうのか明らかではないが、少なくとも原判決の認定によれば、遮音築堤及び緑地帯の設置による騒音軽減効果は二ないし三ホン(原判決三八八ページ九行目から末行まで)であり、また、遮音壁設置による騒音低減効果は平均三ないし四ホン(原判決三九〇ページ四行目)である上、住宅防音工事による遮音効果は、工事の前後で、鉄筋コンクリート住宅及び木造住宅共に平均八ホンの低減であり(原判決二一三ページ六、七行目、第一審判決一七三丁裏一二行目から一七四丁表六行目まで)、これらの対策の効果もあって、被上告人らの居宅内における騒音レベルも、既に繰り返し述べたように、低いレベルにとどまっているのである。したがって、被上告人らの実施した防音対策は少なくとも相応の効果を挙げているものと評価すべきであって、前記のような否定的、あるいは消極的評価にとどまる原判決には、受忍限度の判断において、防音対策の評価についての誤りがあるものというべきである。

また、騒音対策を「巨費を投じ、真摯なもの」と評価し、その騒音軽減効果を認定し、かつ、被上告人らの被害を生活妨害にとどまるとしながら、十分な理由を示さずに「十分に実効を収めているとまでは評し難い。」との評価を下したことについては、理由不備又は理由齟齬及び経験則違背の違法があるといわざるを得ない。

(二) 原判決は、騒音につき認定している箇所においてではあるが、「なお、被告らは、交通量の増加が必ずしも騒音レベルの上昇に結び付かない点を捉え、それにもかかわらず防音工事が進められたのであるから、原告らが実際に曝露を受ける騒音が減少していることになると主張するけれども、原告らが受けているLeqの屋外騒音レベルについていえば、後記のとおりであって、必ずしもいうほどの効果が挙がっているとも解し難い。」(原判決二〇八ページ三行目から八行目まで)と判示している。

右判示は、原判決が防音対策(判文では「防音工事」とされているが、これが住宅防音工事のみを意味するものであれば、屋外騒音レベルに対する効果を論じる余地はないから、防音対策一般についての判示と解して論を進める。)に対して消極的な評価をするにとどまった理由を示しているものとみられるが、屋外騒音レベルを基準として受忍限度の判断を行うことの誤りは既に詳論したところであり(上告理由第一点、一、2及び前記1)、原判決は、防音対策の評価に当たっても、専ら屋外騒音レベルでその効果を測るという誤りを犯しているのである。

その上、そもそも屋外騒音レベルで防音対策を評価することは、およそ無意味である。すなわち、上告人阪神高速道路公団においては、道路構造面における当面の対策には限界があることから、抜本的対策が採られるまでの間、緊急的措置として、室内騒音を軽減するために住宅防音工事助成を行っており、前記のとおり、現在のところは、これによる騒音軽減効果が最も大きいのであるが、その目的は室内騒音の軽減にあるのであるから、防音対策の効果を屋外騒音レベルで論じることは全く意味のないことである。そして、室内騒音レベルの低減によって、被上告人らの騒音暴露に対して十分その効果を挙げ得るものであることは、既に詳細に述べたとおり、原判決の認定した被害のほとんどが居宅の室内における被害であることから明らかである。

(三) なお、住宅防音工事助成に関して、原判決は、これを慰謝料減額事由と解し、工事完成の日から、六五ホン対策がされたものにつき二〇パーセント、六〇ホン対策がされたものにつき四〇パーセントを基準金額から減額すべきものとしている(原判決四一九ページ四行目から七行目まで)。

しかし、六五ホン対策と六〇ホン対策との相違は、夜間の自動車交通騒音が六五ホン以上であるか、六〇ホン以上であるかによるものにすぎず(昭和五九年二月一日以前は六五ホン以上のもののみが助成対象とされたことにつき、原判決三九二ページで引用する第一審判決四四一丁表四行目において認定された被告らの主張二、4、(五)、(4)、ア(第一審判決一三七丁表以下)参照)、工事内容については差異はないのであるから、両者の間に減額の割合の差等を設ける理由は全くないのであって、原判決が防音工事の内容について十分な検討を行っていないことが、この点からも明らかである。

(四) 以上のとおり、原判決は、受忍限度の判断において、上告人らの講じた環境対策(被害防止措置)について十分な検討をすることなく、これを不当に低く評価しているのであって、右認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があることは明らかである。

5 行政指針としての環境基準

原判決は、「行政指針」(原判決三九九ページ五行目から四一〇ページ二行目まで)を違法性の判断要素として把握し、騒音に係る環境基準が「私法上の受忍限度の判断と共通する方法により決定されている」(原判決四〇〇ページ八、九行目)ことから、「環境基準も受忍限度を判断する際の参考とすべきものといえる。」(原判決四〇一ページ一、二行目)と判示している。ここにいう環境基準の意義を正当に理解した上で、受忍限度を判断する際にこれを参考とすることについては、上告人らとしても異存のないところであるが、原判決は、一応環境基準の意義を正当に指摘しておきながら、結論においては騒音についての環境基準と受忍限度の判断基準と同視し、そこから導いた数値を基準として、本件道路交通騒音により被上告人らが受忍限度を超える被害を受けているとの判断をしているようである。しかし、このような認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

なお、この点は、後記の受忍限度の基準設定の誤りの項(二、2)において詳述する。

6 他の道路との比較、全国的な状況

本件訴訟において、本件道路の供用に関する違法性(受忍限度)の判断をするについては、本件道路沿道のみならず、全国各地に存在する他の道路沿道における道路交通騒音のレベル及び排ガスの濃度を考慮すべきである。けだし、違法性(受忍限度)は、その時代の社会的背景、国民意識を抜きにして論じることができないものであるところ、本件道路沿道程度の騒音、排ガスの暴露を受けている道路沿道は他にも存在しているが、本件のような訴訟に発展した紛争が存しないということは、本件道路沿道の道路交通騒音レベル及び排ガス濃度が社会生活上受忍すべき限度の範囲内にあることを示す重要な事実であり、これを考慮の外に置くことはできないというべきだからである。

(一) 原判決は、「本件道路端における騒音レベルは、測定地点により多少の差があるものの、右期間全体を通じほぼ横這いの状態にあるところ、平日の各時間帯ごとの騒音レベル(L50)は、朝方が七〇ホン前後から八〇ホン余り、昼間が七〇ホン台から八〇ホン余り、夕方が七〇ホン前後から八〇ホン余り、夜間が六〇ホン台から七〇ホン台の間を示し、その平均値は、朝方及び昼間が七〇ホン余り、夕方及び夜間が六〇数ホン、二四時間平均値は七〇ホン前後であって、殆ど全部の測定地点及び時間帯において環境基準を上回り、要請限度を上回ることさえ少なくないこと、しかし、全国の上位測定点より一〇ホン前後下回る、状況であった」(原判決二〇六ページ一行目から九行目まで)、「平成元年五月から八月にかけての本件道路端における騒音は別紙Cのとおりであって、中央値の平均は、朝七三ホン(A)、昼間七三ホン(A)、夕七〇ホン(A)、夜間六七ホン(A)となっている。」(原判決二〇六ページ末行から二〇七ページ三行目まで)と判示し、さらに、「昭和六〇年から昭和六三年にかけての騒音レベル上位測定点の状況は、別紙CないしCのとおりであることが認められ、本件道路はそれらの上位測定点に比べると一〇ホン前後低い」(原判決二〇八ページ一〇行目から二〇九ページ二行目まで)、「平成元年版における大阪市の幹線道路の路線別騒音レベルは、昼間はおおむね六一ないし七五ホン、平均68.9ホンであり、夜間はおおむね五六ないし七〇ホン、平均63.3ホンであって、前記(一)の当審における鑑定の結果から認められる本件道路の四つの時間帯の各数値に近似した道路も、多数存在することが認められる。」(原判決二〇九ページ末行から二一〇ページ四行目まで)と判示している。

(二) また、排ガスについてみても、原判決は、二酸化窒素については、「昭和六二年度と昭和六三年度の全国の測定局の二酸化窒素日平均値の年間九八%値の分布と二酸化窒素年平均値の分布の表とグラフは別紙EないしEのとおりである。そして、乙F一七五号証及び同一八〇号証により、昭和六三年についていえば、本件道路の沿道局五局のうち、阪神地区二七局の平均値を超えているのは一局であり、その最も測定値の高い甲子園局でも二七局中一三番目であること及び京浜地区四四局の平均値を超えているのは一局であり、その最も測定値の高い甲子園局でも四四局中一四番目であること」(原判決二四七ページ三行目から末行まで)を、浮遊粒子状物質については、全国の測定結果との対比として、「昭和六二年度は九〇箇所、昭和六三年度は一一九箇所の沿道局で有効測定が実施され、昭和六二年度についていえば西宮甲子園局が高い方から三三番目、昭和六三年度についていえば西宮甲子園局が高い方から二八番目、芦屋市打出局が二九番目であること」(原判決二五二ページ六行目から一〇行目まで)を、大都市地域の測定結果との対比として、「昭和六二年度は阪神地区で四箇所、京浜地区で一四箇所の、昭和六三年度は阪神地区で六箇所、京浜地区で一六箇所の沿道局で有効測定が実施されているが、本件道路沿道の年平均値は、両年度の両地区の年平均値の単純平均値をいずれも下回っており、順位も阪神地区においては昭和六二年度が高い方から四局中三番目、昭和六三年度が六局中同じく三番目と四番目、京浜地区においては昭和六二年度が一四局中低い方から二番目に相当し、昭和六三年度が一六局中同じく各七番目に相当していること」(原判決二五三ページ一行目から八行目まで)をそれぞれ認定している。

(三) 以上のように、本件道路沿道は、道路交通騒音のレベルあるいは排ガス中の二酸化窒素及び浮遊粒子状物質の濃度が特に高い地域というわけではなく、全国的にみて、本件沿道よりも高い騒音あるいは高濃度の排ガスにさらされている地域は少なからず存在することが明らかであり、少なくとも道路交通騒音レベルあるいは排ガス濃度が上位にランクされるということはないのである。そして、自動車公害、特に道路交通騒音、排ガス等による生活妨害を単独に取り上げた訴訟として、本件は特異なものであり、本件道路沿道と同じ程度あるいはそれ以上の道路交通騒音の暴露ないし排ガス汚染が存在する多くの地域の道路沿道住民や、本件道路沿道住民のうち本件の原告(被上告人)となっていない大多数の住民は、訴訟提起等をするに至っていないのである。恐らく、それは、自動車や道路の利便性に比べれば、道路交通騒音や排ガスの影響は、現実の社会生活の場では受忍し得べきものであるというのが大多数の実感であることによるものであると思われる(仮に、これをもって受忍限度を超える被害が発生しているとして、道路の設置又は管理の瑕疵を認めるならば、京浜地区を始め全国各地において沿道住民に損害賠償金を支払う必要が生じる事態に立ち至ることになるであろう。)。

したがって、受忍限度の判断において、本件道路沿道と全国の他の道路沿道の道路交通騒音レベル及び排ガス濃度とを対比すれば、被上告人らの訴える生活妨害に関する被害なるものが、果たして受忍限度を超えるものであるか否かを客観的に把握することができるのである。

しかるに、原判決は、事実認定としては右のような他地域のレベルとの対比を一応しておきながら、受忍限度の判断においては、これについて何らの評価も加えないまま違法性を肯定したものであるから、右認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

7 まとめ

以上のとおり、本件道路交通騒音等により被上告人らに生活妨害が生じており、それが何がしかの被害と評価できるものであるとしても、本件道路の供用の違法性を判断するに当たり考慮すべき諸要素を正当に総合評価すれば、被上告人らの右被害は、社会生活上受忍すべき範囲内のものというべきはずのものなのである。

すなわち、まず、侵害行為の態様及び侵害の程度をみると、被上告人ら居宅の室内騒音レベル、本件道路沿道の排ガス濃度等からして、本件道路交通騒音等が被上告人ら沿道住民に危害を及ぼす危険性は極めて低く、例外的に窓を開けた状態の室内騒音レベル又は屋外騒音レベルを基準として被上告人らに若干の生活妨害があるとするにしても、その日常生活における一時性、例外性からして、その程度の生活妨害を生じさせるにすぎない本件道路交通騒音等の侵害行為性は、それほど重視すべきものではない。そして、本件道路の設置・管理者である上告人らは侵害行為の直接の当事者ではないこと、直接の侵害行為である自動車走行それ自体は社会的相当性・有用性のある行為であること及び、本件道路設置の必要性等にも照らすと、本件道路の供用の侵害行為としての態様及び侵害の程度は、極めて軽微であることが明らかである。次に、被侵害利益の性質及び内容についてみても、右侵害行為に対応するものとして原判決が認定した被上告人らの受けている生活妨害は、道路交通騒音や排ガス等に対する不快感(洗濯物の汚れに対する不快感を含む。)程度というあいまいなものでしかなく、これに対応する被侵害利益の性質及び内容としては、同様に極めて軽微なものということができる。他方、本件道路は極めて高度の公共性、重要性を有しており、被上告人ら自身も本件道路から大きな利便を得ているのであり、また、上告人らは、本件道路の公害問題が提起されるや否や、本件国道の車線削減を始めとして、その有する権限の中で可能な限りの環境対策を実施し、さらには、巨費を投じて被上告人らを含む本件道路沿道住民の居宅に対する防音工事の助成を行い、室内における騒音レベルの低減を実現したのである。以上の諸点に加え、全国的にみて本件道路沿道の騒音レベル及び排ガス濃度が特に高いというわけではないこと等を考慮すると、本件道路交通騒音等により被上告人らが受ける被害は、当然受忍限度の範囲内のものと評価されてしかるべきであり、したがって、本件道路の供用に違法性はないというべき筋合いである。

なお、原判決は、「本件道路を走行する自動車を発生源とする騒音等について、原告らに互換性を容認するような、立場の共通性がないことは明らか」(原判決四〇三ページ四、五行目)と判示している。原判決が違法性(受忍限度)判断の最後のまとめ部分で突如としてこのような判断を加えたことは理解に苦しむところであり、その意味内容も必ずしも明確とはいい難いが、少なくともこれを違法性を肯定する要素として掲げていることだけは確かのようであり、原判決は、上告人ら本件道路設置・管理者と被上告人ら本件道路沿道住民の地位には、例えば交通事故のように加害者と被害者の立場が場合により交替することがあり得るという互換性がないとしているようである。

しかし、このことは、道路のような公の施設については余りにも当然のことであり、特に問題とする必要はなく、原判決が何故にこれを受忍限度の判断に持ち込んだのか、その理由が明らかでない。むしろ、直接の侵害行為と目すべき自動車の走行についてみれば、加害者と被害者の立場に互換性があるといい得るのである。そうすると、原判決は、本来考慮すべきでないことを違法性を認める要素としたものであって、その不当性は明らかである。

結局、原判決は、本件における違法性の判断において、大阪空港最高裁大法廷判決の掲げる違法性の判断要素を総合評価するといいながら、違法性を肯定する要素については、これを過大に評価し、あるいは環境基準値など受忍限度の判断に無関係な要素をも右要素に含ませて考慮し、他方、これを否定する要素については、総合評価に当たりこれに判断を加えず、あるいは不当に低い評価しか与えないという誤りを犯し、その結果、結論としても違法性を肯定するという誤った違法性判断をしたものであり、右認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

二 違法性(受忍限度)の基準設定の誤り

原判決は、本件道路交通騒音については、「敷地におけるLeqが六五以上の原告らについては距離の遠近にかかわらず、またLeq六〇を超える原告らについては距離が二〇m以内の原告」(原判決四〇六ページ六行目から八行目まで)に、浮遊粒子状物質については、「道路から二〇m以内」(原判決四〇七ページ四、五行目)の被上告人らに、それぞれ受忍限度を超える被害が発生していると判断している。

しかし、以下に述べるとおり、原判決自体、このような受忍限度の判断基準を設定した理由を明らかにしておらず、また、いかなる角度から検討しても、右基準の正当性を裏付ける根拠は見当たらないのである。したがって、原判決の右基準の認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

1 受忍限度判断基準の根拠の不明確性

(一)(1) 原判決は、本件道路交通騒音について、「敷地におけるLeqが六五以上」、「Leq六〇を超える原告らについては距離が二〇m以内」という受忍限度の基準を設定しているが、そもそもこの基準自体不合理である。すなわち、本件道路交通騒音により受忍限度を超える生活妨害が生じる騒音レベルがLeq六五以上というのであれば、何故に道路からの距離が二〇メートル以内であるということだけで、そのレベルがLeq六〇に下がってしまうのかということについての根拠は明らかでなく、判文上、これについての理由は示されていない。逆に、Leq六〇を超える騒音レベルによって受忍限度を超える生活妨害が発生するということを前提にすれば、道路からの距離が二〇メートルを超えていようと、Leq六〇を超える騒音レベルであれば、同様に右の生活妨害があるとするのが理の当然であるが、原判決によれば、二〇メートルを超えるや、Leq六五以上でなければそのような生活妨害が発生しないということになるのである。しかし、この点についても、判文上、特段の理由は示されていない。

このように、原判決には、受忍限度を超える生活妨害が生じる基準につき二つの基準を設定したことについて、明確な根拠が示されておらず、理由不備のそしりを免れない。

(2) 原判決は、このような受忍限度の判断基準を設定した根拠らしきものとして、A地域のうち二車線を超える車線を有する道路に面する地域の環境基準(単位はL50ホン(A)〔以下同じ。〕。朝五五以下、昼間六〇以下、夕五五以下、夜間五〇以下)と要請限度(朝七〇以下、昼間七五以下、夕七〇以下、夜間六〇以下)、及びB地域のうち二車線を超える車線を有する道路に面する地域の環境基準(朝六五以下、昼間六五以下、夕六五以下、夜間六〇以下)と要請限度(朝七五以下、昼間八〇以下、夕七五以下、夜間六五以下)を掲げ、「右の数値と、本件道路は、大部分が本件国道の上に本件県道が高架で重なっているという二重構造になっていて、大型車の走行台数及びその占める割合も少なくないという事情並びにこれまで各種の検討した結果を総合すると、」(原判決四〇五ページ六行目から四〇六ページ六行目まで)と判示している。

このうち、環境基準及び要請限度と原判決が設定した受忍限度の判断基準との関係については後記2で明らかにするが、ここでいう本件道路が二重構造であること及び本件道路の大型車混入率が高いことから右受忍限度の判断基準の数値が導き出されるという根拠は全く不明である。もし、それが、本件道路の二重構造及び大型車混入率が高いことにより道路交通騒音のレベルが高まるということを根拠としようとするのであれば、道路交通騒音レベル自体に、道路構造及び大型車の走行による影響が含まれているのであるから、それは明らかな誤りである。また、それが、二重構造及び大型車混入率が高いことにより、そうでない道路と対比して圧迫感が高まるということを根拠としようとするのであれば、圧迫感のためにより大きな騒音被害を受けるとする根拠はないから、やはり、それは理解できないことというほかない。したがって、これらの点は、右基準設定の根拠とはならないというべきである。

なお、原判決がいう「これまで各種の検討した結果」というのは、具体的に何を指すのか全く明らかでなく、この判文から右基準設定の理由を理解することは困難である。

ところで、原判決は、会話等の聴取妨害についてのみ、「Leq六五ホン(A)を超えると会話が妨害される」(原判決三三一ページ末行から三三二ページ一行目まで)として、それが発生する騒音レベルを認定しているが、これは、あくまで生活妨害の発生基準であるから、受忍限度の判断基準は、この数値よりも高くなってしかるべきはずのものである。特に、本件において本件道路の公共性や本件道路の設置・管理者の講じた環境対策等の受忍限度についての判断要素を正当に評価すれば、会話等の聴取妨害をとらえて受忍限度の判断基準を設定するとしても、それは右のLeq六五よりも相当高い数値になるはずであり、しかも、それは会話等が通常行われる室内での値になるはずである。しかるに、原判決は、敷地におけるLeq六五を受忍限度の判断基準としているのであって、これを右認定に係る会話等の妨害の発生レベルから合理的に説明することは不可能である。

(二) 原判決は、本件道路から二〇メートル以内に居住する被上告人らについて浮遊粒子状物質により受忍限度を超える被害が生じているとする根拠として、「原告らの供述及び陳述書から認められる排ガスを原因とする被害の程度及び道路端から二〇m以内を沿道地域とすることに合理性があるとの東京都の報告ならびに本件に現われたその他の証拠」(原判決三六七ページ末行から三六八ページ二行目まで)と判示する。

しかし、原告らの供述及び陳述書から二〇メートルという距離が導かれる理由は全く不明であり、例えば、居住地が道路から二〇メートル以内にある被上告人らのみが陳述書において洗濯物の汚れを訴えているというわけでもないのである。本件において現れたその他の証言を検討しても、道路から二〇メートル以内に居住する被上告人らに受忍限度を超える浮遊粒子状物質による被害が発生していることの根拠はどこにも見いだせないのである。

結局、二〇メートルという数字の根拠らしきものとしては、甲A第六八〇号証の一ないし四(東京都衛生局による調査)しかないことになるが、この調査は、道路端からの距離による大気汚染物質濃度や有症率の差異をみるため、その距離が二〇メートル以内、五〇メートル以内、一五〇メートル以内の各地域に分けて調査・対比したところ、道路端から二〇メートル以内の地域において右濃度及び有症率が高い傾向がみられたというものにすぎず、二〇メートルという距離は調査・対比の便宜のために設定されたものであって、この距離を境として右濃度及び有症率が高くなったとしているものではない。しかも、これは、排ガスによる健康被害の研究報告であるから、浮遊粒子状物質による洗濯物の汚れについて、本件道路から二〇メートル以内において受忍限度を超える被害があるということを合理的に説明するものではないのである。

したがって、原判決が示した浮遊粒子状物質についての受忍限度の判断基準は、その根拠に欠けるものといわざるを得ない。

(三) 以上のように、受忍限度の判断基準設定についての原判決の認定判断には、理由不備又は理由齟齬及び経験則違背の違法があることは明らかである。

2 環境基準値を受忍限度の判断基準に用いた誤り

原判決は、A地域のうち二車線を超える車線を有する道路に面する地域の環境基準(単位はL50ホン(A)〔以下同じ。〕。朝五五以下、昼間六〇以下、夕五五以下、夜間五〇以下)と要請限度(朝七〇以下、昼間七五以下、夕七〇以下、夜間六〇以下)、及びB地域のうち二車線を超える車線を有する道路に面する地域の環境基準(朝六五以下、昼間六五以下、夕六五以下、夜間六〇以下)と要請限度(朝七五以下、昼間八〇以下、夕七五以下、夜間六五以下)を掲げた上で、「右の数値と、本件道路は、大部分が本件国道の上に本件県道が高架で重なっているという二重構造になっていて、大型車の走行台数及びその占める割合も少なくないという事情並びにこれまで各種の検討した結果を総合すると、敷地におけるLeqが六五以上の原告らについては距離の遠近にかかわらず、また、Leq六〇を超える原告らについては距離が二〇メートル以内の原告について、道路からの騒音が受忍限度を超えるものと認めるのが相当である。」(原判決四〇五ページ六行目から四〇六ページ九行目まで)と判示している。この受忍限度の判断基準の数値と環境基準及び要請限度の数値とを対比すると、原判決が、環境基準値を相当程度考慮して、本件道路交通騒音の受忍限度の判断基準をLeq六〇又は六五としたことは明らかであり、しかも、後述のように、これらの判断基準は、場合によっては環境基準をも下回るのである。

しかし、このように環境基準値をもって受忍限度の判断基準と同視するに等しいような原判決の認定判断には、以下に述べるとおり、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤りがあり、かつ、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

(一) 環境基準とは、公害対策基本法に規定されているとおり、「人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準」であり、原判決も、「環境基準は、許容限度あるいは受忍限度を画するものではなく、『望ましい数値』としての行政上の政策目標」(原判決三九九ページ一〇行目から四〇〇ページ一行目まで)であると判示しているとおりである。

騒音に係る環境基準の達成・維持は、聴力損失など人の健康に係る器質的及び機能的な病理的変化の発生を防止するだけでなく、音による妨害・支障を防止できる望ましい日常生活の確保につながるのであり、終局的な行政上の目標なのである。そうすると、この環境基準値を相当超過する場合に初めて、受忍限度を超えているか否かが問題となることは当然の道理であり、原判決も、「環境基準を超えたからといって、健康が損なわれたり、当然に受忍限度を超えているといえない」(原判決四〇〇ページ一〇、一一行目)と判示しているところである。

したがって、環境基準値と受忍限度の基準を同視して被上告人らに受忍限度を超える被害が生じているか否かを判断した原判決には明らかな誤りがあり、特に、右判示部分と対比すると、理由不備又は理由齟齬があることは明らかである。

(二) ところで、被上告人ら居宅における鑑定結果をみると、被上告人瓦庄市(原告番号三二)の居住地はB地域(準工業地域)であり、被上告人越智明彦(原告番号八〇)の居住地もB地域(近隣商業地域)であるから、これに対応する地域の環境基準値は、L50で朝六五ホン(A)以下、昼間六五ホン(A)以下、夕六五ホン(A)以下、夜間六〇ホン(A)以下と定められているところ、原審における鑑定の結果によれば、右被上告人らについては二四時間すべてにおいてL50の値が環境基準を満たしていることになる(鑑定書一一一、一一七ページ)。このように、屋外騒音レベルにおいて環境基準を下回る道路交通騒音の暴露しか受けていないことが客観的に明らかな被上告人らについてさえ、受忍限度を超える被害を受けていると判断されているのである。この二例を取り上げてみても、原判決が環境基準を受忍限度の判断基準として考慮しようとする余り、環境基準値以下のレベルにおいてまで、受忍限度を超える被害があることを認めてしまうという誤りを犯していることが理解できよう。

(三) また、B地域のうち、二車線を超える車線を有する道路に面する地域における環境基準は、L50で朝六五ホン(A)以下、昼間六五ホン(A)以下、夕六五ホン(A)以下、夜間六〇ホン(A)以下と定められている。兵庫県では、朝は六時ないし八時、昼間は八時ないし一八時、夕は一八時ないし二二時、夜間は二二時ないし翌六時と定められているから(昭四四・四・三〇兵庫県告示四四八の四「騒音規制法の規定に基づく時間及び区域の区分ごとの規制基準の設定」)、二四時間すべてにおいて右環境基準の上限値を達成した場合における二四時間平均騒音値(L50で表示)は、

ホン(A)

となる。

一方、道路交通騒音の場合、原審における鑑定の結果によっても、二四時間平均のLeqの値は、L50の値よりも、0.3ホンないし3.8ホン(A)ほど大きくなっているから(鑑定書一〇九ページから一二二ページまで参照)、本件道路沿道において、Leqの値がL50の値より大きくなることは明らかである。この点については、原判決も、「騒音レベルの変動が少ないとき(例えば、最大値と最小値の差が五デシベル以下)はLeqとL50の差はほぼ一デシベル以内と考えてよいが、変動が一〇デシベル以上になるとその差は数デシベルになり、常にLeq値がL50値よりも大きい、といわれている。」(原判決二一八ページ二行目から五行目まで)と判示しているとおりである。したがって、二四時間すべてにおいて環境基準の上限値を達成した場合の二四時間平均Leq値は、63.3ホン(A)よりも大きく、右鑑定の結果を参考にすれば、63.6ホンないし67.1ホン(A)の値となる。しかるに、原判決は、B地域に居住する被上告人らについても、Leqが六五以上であれば距離の遠近にかかわらず、Leq六〇を超える場合は距離が二〇メートル以内との基準を設定して、受忍限度を超えているか否かを判断しているのである。そうすると、原判決は、屋外騒音レベルでさえ二四時間すべてにおいて環境基準以下の騒音の暴露しか受けていない被上告人らについても、受忍限度を超えるものと判断したことになるのである。

以上のとおり、原判決は、結果的に環境基準以下の数値を受忍限度の判断基準としたものであり、環境基準の性格に照らして「環境基準を超えたからといって、……当然に受忍限度を超えているといえない」(原判決四〇〇ページ一〇、一一行目)とする原判決の判示と対比して、右認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があることは明らかである。

(四) なお、原判決の前記(一)の判示と同2冒頭部分の判示とを照らし合わせると、原判決は、本件道路の「大部分が本件国道の上に本件県道が高架で重なっているという二重構造になっていて、大型車の走行台数及びその占める割合も少なくないという事情」(原判決四〇六ページ三行目から五行目まで)を、環境基準値を受忍限度の判断基準に用いる理由の一つとしているように解せなくもない。

しかしながら、これらの事実がそのような判断を可能にする理由となり得ないことは、前記1、(一)、(2)で述べたとおりである。

3 屋外騒音レベルを受忍限度の判断基準とした誤り

原判決が道路交通騒音についての受忍限度の判断基準としたLeq六五又は六〇という数値は、いずれも屋外騒音レベルであることは明らかである。これまでも繰り返し述べてきたとおり、原判決が被害として認定した生活妨害は、ほとんどが室内における日常生活に係るものであり、本来、室内騒音レベルによって道路交通騒音についての受忍限度の判断基準値を設定すべきはずのものなのである。したがって、原判決が屋外騒音レベルをもって設定したLeq六五又は六〇という数値は、その認定に係る被害との関連性を欠いており、右被害についての受忍限度の判断基準としては、何の意味も持たないというべきである。そして、原判決の掲げる右受忍限度の判断基準を前提として、既に述べた被上告人ら居宅の室内の窓を閉めた状態における騒音レベルに基づいて判断すれば、受忍限度を超える被上告人は一人として存しないのである。原判決には、この点にも、理由不備又は理由齟齬があることは明らかである。

4 まとめ

以上のとおり、本件道路交通騒音及び浮遊粒子状物質について原判決の設定した受忍限度の判断基準は、その根拠が極めてあいまいな上、その基準自体不合理であり、特に、本件道路交通騒音については、騒音に係る環境基準以外にこれを説明し得る根拠はなく、原判決は環境基準を基礎に右判断基準を設定したものと理解するほかないが、このような基準設定が誤りであることは明らかであり、また、被害との関連性を欠く屋外騒音レベルをもって右基準設定をしていることも誤りであって、結局、受忍限度の判断基準設定に関する原判決の認定判断には、理由不備又は理由齟齬があるほか、国賠法二条一項に係る違法性についての解釈適用の誤り及び経験則違背の違法があり、かつ、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第四点 弁護士費用及びこれに対する遅延損害金に関する判断の誤り〈省略〉

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